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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

粟島信仰②~奥州街道清水宿散歩の寄り道、道草、わき道⑤

a0087378_5211198.jpg 伏拝のさいで地蔵旧地を探す中で粟島大明神に出会い、この事について、「奥州街道清水宿散歩の寄り道、道草、わき道~さいで地蔵旧地」として整理した。 この時に、杉妻診療所・さいで地蔵旧地・粟島大明神が並んでいることに気づいてはいたが、それだけだった。しかし、これ等をどこにするかという決定権が地域にあるとして、更には、ここに淡島信仰の影響が強そうだとするならば、偶然に配置されたという事でもないということなのではないかとも思えてくる。

 淡島願人とか淡島講といったものが存在したかどうかは分からない。ただ、女の方々が集まって談笑する機会は、昔の方の方が今より多かったはず。ここに淡島信仰の影響が及んだのではという仮説は、それほど不自然ではなさそうに思う。
 そのこととこの配置が結びつくとすれば、女の方々の影響力の強さを想定しなければならないとは思うが、これもそれほど不自然でもなさそうにも思う。そういえば、東湯野の散歩で、熊野神社境内に女の方々が大事にした祠というのもあったなぁと思い出す。

 廻りくどい言い回しをしたが、要はこれ等が淡島信仰と習合した風景なのではないかという勝手な想像だ。

 地域の思いという点では一致しても、診療所という近代の医学という観点からは異質だ。
 さいで地蔵様は、杉妻診療所から、一度道路近くの民地に移動されたようだ。それから伏拝に移動されたという経緯のようだ。実際の経緯の意味は分からないが、想像は自由ということで、さいで地蔵様の移動は、その分離だったのではないかと勝手に想像を膨らます。
by shingen1948 | 2012-02-04 05:23 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)