地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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粟島信仰~奥州街道清水宿散歩の寄り道、道草、わき道④

 さいで地蔵様旧地を探す中でみつけた「粟島大明神」を要にしていくと、別な見方になりそうに思う。それが、粟島(淡島)信仰だ。
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 福島近くの散歩で、淡島信仰にかかわることに出会ったのは最初のような気がする。その様子からは、粟島(淡島)信仰そのものとは離れているようにも思うが、言い伝えとしては、淡島信仰そのもののような気がする。
 「粟島大明神」の案内説明を再掲する。
 この小祠は、粟島大明神と称して医薬を授けた御神徳があって、病み患う人々の信仰する神社であります。安政3年(1856)6月勧進し、昭和29年社屋を黒岩、伏拝200余の信心古方により再建した。尚、酒造の守護神でもある。

 自分は、直接この信仰にふれたと実感した経験はないと思うのだが、この信仰は現在まで続いているらしい。明治時代、大正時代、昭和の時代にもこれらの像が建てられ、平成の像もあるという。その原型を確認する。
  「石の仏」のページの「福島の淡島様」が、簡潔に整理されているように思う。
 東北地方では、右手に粟の穂を持った淡島像という石像が、福島県を中心に分布しているとのことだ。
 「福島県中通り(福島市・郡山市を中心とした地域)の淡島像の造立年を調べてみると、他の石仏たちの造立がやや弱まった頃、江戸末期から淡島像の造立がなされ、昭和に至る現在まで、むしろ、昭和に入ってからの方が多く造立されている。」との「東北地方の淡島様とその信仰(小坂泰子)」にその資料を求めているらしい。

 針供養、雛祭りの日も、この俗信の名残りとのこと。そのキーワードは、女の日ということと流すということのようだ。それなら、気づかない中で間接的にこの信仰とふれ合っていたという事なのだと思う。
 淡島願人も興味深い。昭和に入っても存在していたとのことだ。
 テレビで見た小学生が御地蔵様を背負って村々を歩くのも、この淡島願人の姿とかかわるのではないかと勝手に思う。
 ずっと、さいで地蔵様が、御舟に乗っていらっしゃることが気になっていたが、これも淡島信仰と結びつくのではないかという勝手な思いで納得するところがある。
by shingen1948 | 2012-02-03 10:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)