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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道清水宿散歩の寄り道、道草、わき道

 奥州街道清水宿の散歩のきっかけは、共楽公園までの散歩だった。共楽公園までの散歩のつもりが、道案内に誘われて、清水町仲興寺まで散歩した。その清水町仲興寺までの道筋の石那坂からの道筋と交差する地点から仲興寺までは、既に清水町宿の一部になっていたということだ。
 伏し拝みの地名と時期的に「気を感じて伏し拝みたい」という季節感の中で、金沢黒沼神社を車で訪ねたが、その時に、清水宿の残りの部分を通る。
 中途半端になっているという気分と、そこを通ったという事との偶然の重なりの中で、歩いてみたくなったという事だった。
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 そもそも、その共楽公園まで足を運んだのは、さいで地蔵様との出会いだった。さいで地蔵様は、羽山石塔群とされる中の左手にいらっしゃった。この時に気になったのは、お舟がはっきりしないことだった。
 自分が訪ねた伏拝以外のさいで地蔵様は、どなたもお舟に乗っていらっしゃるのだが、ここだけが、そのお舟がはっきりしなかったのだ。
 伏拝舟繋ぎ石を訪ねたのも、ひょっとして、これが伏拝のさいで地蔵様の忘れものかなと思ったからだが、そうでもなさそうだった。

 このさいで地蔵様の事情にかかわるヒントを見つけたのは、清水町宿の整理のために見た資料の中だった。このさいで地蔵様の旧地は杉妻診療所という記述だ。そこから一度近くの民地に異動になるようなのだが、その時の事情にかかわっての記述だ。それなら、移動にともなってこのお舟の部分が分かりにくくなったという推測ができる。
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 そのさいで地蔵様の旧地である杉妻診療所を確認した。多分、ここだと思う。
 ここから、一度、道路近くの民地に移動されて、それから、伏拝に移動されたという経緯のようだ。したがって、伏拝のさいで地蔵様は、元々は杉妻のさいで地蔵様だったということのようだ。

 現在この杉妻診療所はない。この無いものにたどり着いたという散歩の喜びもある。しかし、それよりは、移動のたびに、仏像としての地蔵様から、だんだん魂が抜けていき文化財になっていく経緯があるはずだ。旧地を訪ねることは、仏像としての地蔵様を想像しやすいということの思いの方が強い。
 たどり着くヒントだが、これは杉妻小学校前のマラソンコースの説明図だった。ここに、杉妻診療所の位置が示されていた。
 ここに来る途中、「粟島大明神」をみつけた。案内柱が建つ。
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 「粟島大明神」
 この小祠は、粟島大明神と称して医薬を授けた御神徳があって、病み患う人々の信仰する神社であります。安政3年(1856)6月勧進し、昭和29年社屋を黒岩、伏拝200余の信心古方により再建した。尚、酒造の守護神でもある。
 さいで地蔵様旧地と同じ道筋だ。昔の地域の方々の病み患うことにかかわる信仰心というようなものにふれたような気分だ。

 この旧地を訪ねたことは、目的とするものよりも寄り道、道草、わき道に目を向けることの積み重ねで、散歩の基本の実感でもある。最も、この事自体が「寄り道、道草、わき道」でもあるが、……。
by shingen1948 | 2012-01-31 05:32 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)