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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道清水宿⑥~石那坂との交差点から②

 散歩のために清水町宿についての資料を見たいと思うと、とりあえず行政区の単位を頭に置いて探す。この清水町宿は、現在蓬莱地区の西端に位置することになり、その少し前の時代は、杉妻地区の南の端に位置し、更にその前が、田沢地区の西側というイメージだろうか。いずれも、その西側が境界線となる。
 確かに、地形的に南側から張り出した舌状に張り出した丘陵によって遮断される。現在は、国道4号線バイパスによって、更に西側との交流は見えにくい。

 それでも、「奥州街道清水宿略図」には、2本の石那坂へのつながりが表記されている。
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 石那坂から坂道を登ってくると、奥州街道と交わる付近の左側に熊野神社が建つ。
 その熊野神社から眺めると、国道4号線バイパスに沿って、西裏通りに相当する道筋が走る。その道筋から国道4号線バイパスを跨ぎ越し石那坂へ抜ける道筋は橋梁によっても確保されていることが分かる。


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 一つは、石那坂へのつながりの深さが見える風景に見える。もう一つは、この国道4号線バイパスの建設では、地元民の意識との共存を考えたことを表す風景とも見える。
 それは、今回の震災で感じた、国の東京で考え、東京の価値観の中で思考を整理した対策を地元に伝えるという姿勢との対比だ。
 この道筋は、地元の方々の生活路というイメージだ。国道4号線バイパスの効率性と地元の生活との調和を図った風景と見えてくる。
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 その石那坂のイメージだが、これが曖昧だ。同じ「石那坂」という言葉でも、石那坂村、石那坂トンネル、石那坂の戦いという時に微妙な違いがある。
 地図上の石那坂は、共楽公園のある丘陵の西側にプロットされ、東北本線石那坂トンネルは、その南西のその丘陵の際にある。

 これらは、明治の時代に、現在は古墳とされる位置が石那坂の戦いの本陣とされたことにかかわるのだろうか。
 先に整理した小林氏は、石那坂の戦いにかかわる石那坂を、東山道が北側へ下る道と想定する。
by shingen1948 | 2012-01-29 05:38 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)