奥州街道清水宿④~街並み想像
2012年 01月 27日
まず、略図にある屋号を持つ家が、現在の地図のどのあたりか見当をつけて、配置してみた。それから、その中の商売と結びつきそうな屋号をピックアップしてプロットしてみたのが、この図だ。

この中の「茶屋」、「十手持」、「本陣」、「元名主」は、略図に明記されているので、ほぼ間違いないと思う。その他は、屋号からの想像でしかない。
なお、藤清水脇の「米沢屋」さんは「茶屋」であり、「法院様」は寺関係だろうと想像する。また、「十手持」の斜め向かいの「吉野屋」さんは、窯元らしいが、陶器の窯でいいのだろうか。
これも勝手な想像でしかないが、確認していく中で、新しい店は南に延びてきたのではないかというような印象を受けた。そういう見方で見ていると、奥州街道が、曲がって、石那坂の道筋とつながる地点までは、元々が近隣の村々を結ぶ主要な地点だったのではないかと思えてくる。特に、石那坂を中心とした平田の村と田沢の村を結ぶ要の位置だったように思う。それで、商売が想像できた訳ではないが、「旧角屋」さんも加えてみた。主要な角だったと勝手な思い込みなのかもしれないが、……。
そうすると、根子町から清水町への変遷についても、自然な形で納得できそうな気分にはなる。この付近が松林であったことを想像すれば、根子町の名称の由来となった苦労話は、当然清水町建設の際にもあった苦労話で矛盾はないと思う。