気を感じて伏し拝む⑥~金沢黒沼神社②
2012年 01月 19日
その根拠は、以下の三点のようだ。
○ 黒沼神社の御祭神が、「開拓の神」であること。
○ 信夫の国衙を宮代説とし、この神社はそこから幣帛(へいはく)を受けたとする。
○ 信夫郡内の開拓は、延期年間(927)に始められ、金沢村は水穂(保)郷に属していた。伏拝以西の山の内の諸村と共に存在し、そのために黒沼神社は、その総社であった。
もしこれが正しいとするならば、伏拝の名の起こりは、信夫山の黒沼神社を拝むという説よりは、実は伏拝村の南、金沢村の黒沼神社を拝することから来たものともいえることになると主張する。
そこには、歴史的にもいろいろあったという信夫山の黒沼神社との対抗意識も感じる。
その事は、視点を変えれば、信夫山でもこの黒沼神社と羽山かけとをかかわらせて想像しても矛盾はないということとも思える。

その想像を楽しむのに、資料から具体的なイメージに結びつく事柄を拾って、神事を整理しておきたい。
まずは、厳冬の中、数十人の男性が家族と離れ、「こもりや」に籠るということだろうか。現在は、旧歴11月16日から3日間、以前は、12日より7日間、こもり屋に籠るということ。

その間、朝夕に「しめ井戸」で水垢離を取り、1日2食の別火生活を送る。籠もり開始の前日には、神明しめ井戸の掃除が行われるとか。
これは、何気なく撮った水神様だが、今思えば、水で清める神事とイメージが重なる。
食事は、ヤワラの儀と呼ばれ、羽山の神へのオガミ(礼拝)まで、全てが山伏言葉で修行する神事とされるとのこと。1年僧2年僧古参僧と格式がある昔からの男子成人式でもあるとも。
次の日から、次の6日間で行われていた神事を、2日目までに短縮してこなすということだろう。
2日目用具作り、3日目神域作り、4日目小宮参り、5日目ヨイサー行事。6日目神に供える大ボンデン作り、お峰餅つき、最後の食事のときにオオヨセの儀、ゴッツォの儀などの儀礼。
小宮参りというのは、「アマツ神クニツ神祓い給え清め給え」と唱えて各家々を回ることらしい。
「ヨイサの儀」というのは次のような農耕の代搔き田植えの模擬神事。
囲炉裏裏の大梵天の周りに馬にされた若者が担ぎあげられ揉み合い、太鼓の雷が鳴り響き大粒の雨か「みかん」も見物人にまかれるという奇祭とのこと。
「ゴッツォ」は、御馳走でわかるが、「オオヨセ」は、ちょっと分からない。
そして、最終日の深夜から未明にかけてが、羽山かけ。
松明を先頭に、羽山の大神と神明様の御神体を奉ずる行列が、羽山の嶺に登る。1番山かけから、2番山かけ、3番山かけと順に御山かけの行列になって登るとのこと。
山頂では、注連縄をはって神域を作り、そこで神の託宣が始まる。村人が問い、神の言葉が伝えられる形で、五穀の吉凶から一年間の気象、災難等々を占う神事を行うという。
昭和43年元旦にNHKで、44年民放番組で、金沢の奇祭裸祭りとして紹介されているとのこと。