地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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共楽公園への道筋⑨~清水町宿の仲興寺

 「ふくしまの歴史」に清水町宿が解説される。
 この「仲興寺」にかかわっては、「仏法僧庚申塔」が紹介される。その価値として、元禄9年(1695)9月建立は、福島地方では早い時期であることと、仏法僧と刻まれるのは福島ではこれだけだと解説する。なお、仏法僧とは、仏と仏の教えとその教えを信じる僧だと解説される。
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 意図して撮っていないので、撮った写真から拾ってみる。左手の笠付の石塔がこの「仏法僧庚申塔」のようだ。なお、「藤原宗興卿の歌碑」というのは、馬頭観世音の蔭になって少しだけ見える石塔らしい。

 近年の清水町村の地域意識を旧清沢小学校の沿革にたよれば、東側の田沢村とのつながりが深くなったことが伺えるが、「ふくしまの歴史」では、沿革に共楽公園を挟んだ石那坂村とのつながりを解説する。
 清水町村は、「1673(延宝1)年に石那坂村から分かれたと考えられます」とある。
 根子町から清水町に変わることについては、幕領であった延宝年中で、検地の際に、街道の東側にあった藤清水にちなんで清水町に改めたこと、ここに宿駅ができるのが1590(慶長9)年ころとおもわれること等が解説される。
 清水町宿の南側では、共楽公園を挟んだ石那坂とかかわる言い伝えがあることの情報に合点がいく。また、先に石那坂を確認した時に、周辺を散策する中で、石那坂トンネルの上の道筋をたどってみたら、この清水町宿に出てきたことを思い出す。
 「おくのほそ道を歩く(田口惠子著)」<歴史春秋社>では、この清水町宿を省略して、石那坂を歩いて話をつないでいることも思い出す。

 旧清沢小学校の沿革を見ていると、近年は、東側の田沢村とのつながりが深くなっていくことが伺える。その中心地も、街道筋の改変もあってか、東側に移動していくように感じられる。
 沿革の明治9年の項には、「田澤の長秀院に田澤小学校が分離」するとあるが、そこに、清水町の子供もこちらに移る記載がみえる。また、明治18年には現清沢体育館の地に校舎が新築されるようだが、その名称は、信夫郡第10番学区田澤小学校ということだ。
 明治21年頃からの沿革は、杉妻小学校とかかわる文教場のようだ。これは、明治22年(1889)に、清水町村と田沢村が、伏拝村・黒岩村・鳥谷野村・太平寺村・郷野目村とともに合併して,杉妻村となることとのかかわりだろうと想像する。
 最終的には、昭和48年の団地の開発に伴って、「蓬莱地区」という意識変遷だろうか。
 藤原宗興にかかわる案内板には、「杉妻」の地区名がみえるのは、ここが杉妻村だったころの名残が今に残るということだろう。

※ 「ふくしまの歴史」には、「清水町宿場略図と屋号をもつ家」の図があった。これを「根っ子町土人形」にかかわる情報を頭においてこの並びを見ると、仙台屋と吉野屋は、仲興寺と同じ並びの北側のようだ。
 詳細は分からないが、気になった建物は、「旧角屋」、「穀や」、「かみや」というような並びのようだと言う事が分かる。先に「旅籠仙台屋」とか、「根っ子町人形」にかかわって書いた時にいだいたイメージとずれがあるので、徐々に修正していきたい。
by Shingen1948 | 2012-01-09 06:21 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)