地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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共楽公園への道筋⑧ ~ 仲興寺

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 案内された仲興寺についての詳細は分からないが、現曹洞宗の寺で、「長秀院」のホームページの解説等から清明町の常光寺を本寺にして、大森の円通寺、田沢の長秀院、東湯野の明光寺・法伝寺等と同門寺院という事らしい。


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 境内には石仏石塔が多数集められて、江戸時代から清水町村が奥州街道宿駅であるこの地区が、中心地として栄えていたことを伺わせる。信夫西国第15番という情報もある。


 街道筋の改変によって、その中心地がだんだん東側に移動していくことになる。その歴史が、象徴的に刻まれるのが、学校の変遷だろうか。門表の柱の裏に、檀家の方々の思いが刻まれる。
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 永年菩提寺仲興寺に門表の建立を念願し今日に至る
 此の都度旧清沢小学校跡地に立つ往年の校門柱の無償譲与を得て仲興寺表門として再生、更に、校門としての名残をとめおく。
 願いをこめて有志より浄財を募り移築建立せしものである。
 昭和56年8月吉日

 旧清沢小学校跡地は、現清沢地区体育館とのことで、ここに「清澤小学校跡地」の碑が立ち、学校の沿革が記されている。その創設に関わって、以下が記される。
 明治6年5月4日八丁目小学校第1支校として清水町小学校開設。誠意館と称し仲興寺に置く田澤からも出校する。
 最終的には、昭和48年に、蓬莱小学校に移籍されるが、そのスタートを切ったのは、この寺であるとの思いが込められているように思う。
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 「藤原宗興卿の歌碑」の案内板が建つが、今のところ、その藤原宗興卿は確認できない。ただ、宿場が繁栄していたことを示すエピソードではあると思う。

 先の「根子町土人形」の伝承とされる以下の記述とかかわるものやら、違う事やら分からないが、こんなこともあんなことも、繁栄する宿場町ではあったかなという情景として、重ねて記しておく。
 (根子町土人形の)伝承では、姑の嫁いびりに耐えられなくなった、堤人形の窯元の若い娘が自家の人形職人と共に出奔し、その逃避行の途中、根子町で急病に罹り、旅籠を営む仙台屋に助けられました。
 そして、仙台屋に逗留中に人形職人が作った堤人形の出来が評判となったため、興味を持った主人は2人のために仕事場を提供し、また自らも人形作りを学び窯元となって製作を始めたと伝えられています。

by shingen1948 | 2012-01-08 06:16 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)