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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

共楽公園への道筋②

 弘法太子堂の前には、拝石・明治天皇伏拝野立所碑・羽山嶽の碑群などが並ぶ。
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 気になったのが、「羽山嶽の碑群」という案内だ。碑それ自体は、近くからここに集められたもののような気がするが、その「羽山嶽」という名称部分だ。

  羽山と名の付く山の由来は、奥の山に対して里に近い山、端の山からきていると勝手に思っていて、今のところその感覚と矛盾したことがない。羽山、葉山、麓山、端山なども同じ使われ方だと勝手に思っている。ここは、その羽山の嶽=岳の部分ということだ。

 ここに「拝石」がある。
 案内板では、次のように説明する。
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拝石 むかし、信達平野が湖水であった頃、信夫三山、羽黒山、月山、湯殿山の参拝は湖水を渡ることができず、ここより伏し拝んだといわれる。

 ここは、もともと地名が拝石のはず。これを、昔の人々のお寺に参りの生活の知恵と結び付けて想像すると、実際にお寺や神社を訪ねるのが本当だが、ここでぬかずいてお願いすることをお許し頂いて、ご利益をお願いしますということだろうか。
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 こちらが、その拝み石から拝みの方向が信夫山という構図。
 ぬかずくのがこの拝石、後ろめたさを和らげるのが、「昔は、信達平野が湖水だったのでということ」と、その頃からずっとそうだったとの言い伝えとの勝手な解釈ということで、矛盾がない。

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 半沢氏のフィールドワーク地図で確認すると、「信夫山大権現(北方)を伏し拝んだというが、諏訪神社を(西方)を諏訪山からとか金沢の黒沼神社(南方)を伏し拝んだからとか諸説あることにも注意」とある。こちらが南東方向で、この拝み石にこだわらなければ、南方が見渡せるはず。

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 公園としての展望台からよく見える西側の風景。


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 羽山嶽の碑群、拝み石と共に、弘法太子堂が、この羽山嶽の風景を形づける。

 ここが、明治9年の明治天皇伏拝野立所になったとのことだ。
 絶景の場所ということに合わせて、ここを案内する方にとっては旧国道4号線の開通が自慢だったはずで、それも案内できる場所という意図があったのではと勝手な想像を膨らませようとしたが、旧国道4号線の開通は明治10年代からということで、ちょっと違うか。
by shingen1948 | 2012-01-02 06:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)