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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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共楽公園への道筋

 この右手の共楽公園へ続く道筋は、旧奥州街道との意識では何度か通っている。
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 この坂の登り口に案内板が建つ。
 旧奥州道(陸羽街道)
 天正年間(1573~1593)伊達政宗公により開設されたという。清水町仲興寺前に通じる。

 真っすぐ進む旧国道四号線についても、以下のように案内する。
 旧国道四号線
 明治10年代より数次の改良工事により現在に至る。一部旧道が残っている。
 平成8年10月吉日建立
 杉妻地区史跡保存会 伏拝地区内有志

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 今回確かめた伏拝舟繋ぎ石(ビッタラ石)は、この坂道を少し登った所の手前右手の石垣の手前あたりになる。


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 この辺りから見通しがよくなって、東側を眺めると、下方に旧国道四号線が見え、その先に、国道4号線バイパスが見える。


 その道を登っていくと、丘の上に馬頭世観音碑の石塔が建つ。
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 案内によれば、「文化2乙丑年6月(1805年6月)福島にあった飛脚問屋「島屋」が道中安全を願って建てた」ものとか。
 これだけでは、地域の誇りと自慢したい思いが伝わらない。

 飛脚問屋「島屋」を確かめていくと、19世紀当初、相場報知に関する全国規模の普及と信頼の厚さを誇る老舗であることが分かる。その飛脚問屋「島屋」が建てた馬頭世観音碑の石塔という思いのようだ。

 この飛脚問屋「島屋」と福島のかかわりが見える「<史跡> 島屋飛脚中奉納の常夜灯」というが、「福島信夫ライオンズクラブ」のブログに紹介される。
 福島市信夫山一周道路、羽黒神社登り口に、六供の一人加藤家にはかつて羽黒参詣者を相手にした店が残されており、その角には文化8年(1811)に大阪の飛脚問屋島屋の飛脚中が奉納した石造り常夜灯が今も立っている。
 島屋は江戸にも本店を構え、福島には出店(でだな 支店)を置いて蚕物関係の輸送や金融も扱った。

 江戸・大坂間における並便、早便の双方において確固たる地位を築いていたこととかわる「京屋島屋の赤紙付き」の以下の情報も確認できる。
 京屋島屋の赤紙付き:当時有名な飛脚問屋で、「赤紙付き」は現在の速達に当たり、早くは着いたが料金もかさんだ。京屋は江戸室町二丁目で営業した定飛脚問屋「京屋弥兵衛」のこと。島屋は日本橋室町一丁目に開店していた、島屋半兵衛の飛脚屋。この2軒は、明治4年(1872)に合併し、翌5年には陸運会社、8年には内国通運会社となった。引率し、宿坊の役割も果たした。

 更に、その島屋が、米飛脚へ参入し、早飛脚を西国筋へ展開する情報がある。
 その中で、19世紀初頭の西国筋、あるいは北国筋への相場報知に対するその普及の広さと信仰の厚さを誇る老舗であることが推定される紹介を見つける。
by shingen1948 | 2012-01-01 06:27 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)