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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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梁川城現地説明会に出かける⑨

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 少し時間がたって、見直すのに結構役立つのが、どう報じられたかと言う事。今回報じられたことを確認しておく。

<b>梁川城跡周辺に遺構 寺院か武家屋敷跡【福島民報(2011/12/09)】

a0087378_5465723.jpg  伊達市の県指定史跡・梁川城本丸跡の北東部分から、新たに鎌倉時代から室町時代にかけて造られた寺院か武家屋敷跡とみられる遺構が8日までに発見された。青磁盤などの出土品も確認され、位の高い人が利用していたこともうかがえる。市教委によると本丸跡や周辺の寺院などとの位置関係を考えると、当時、梁川城周辺は東北屈指の町並みがあったことも想定できる重要な発見となった。
 梁川城は中世伊達氏の本拠地の城として、室町時代から使われていた。「独眼竜政宗」の先祖である伊達家の当主らが住み、町並みを形成してきた。
 今回は、梁川城本丸の北東200メートル部分の範囲や遺構確認のため、11月から調査してきた。
しっかりとした柱穴が多数見つかり、約60メートル四方に区画されていたことから、寺院か武家屋敷とみられる建物があったことが分かった。
 このことから、梁川城本丸や八幡神社、輪王寺跡、東昌寺跡などの遺構と合わせると、かなり広い範囲で町並みがつくられていたこととなり、伊達氏が力を入れていたことが分かるという。市教委は11日午後1時半から現地説明会を開く。駐車場は梁川プールか、やながわ希望の森公園へ。問い合わせは市教委 電話024(577)3245へ。

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 ついでに、今回梁川城現地説明会に参加して、整理するのに確認していく中で、曖昧なままだが気になっていることを記しておく。
 今回頂いた資料の宮城県図書館が所蔵する「梁川絵図」に神尾舘があって、ちょっと気になって「神尾氏」を確認するが、よく分からない。多分地元では直ぐに思い当たる方なのだろう。他所者の素人は勝手な想像を膨らます。
 資料は見失っているが、見かけた次のような解説と、この神尾氏とかかわるのかなと、……。
 代々の亀岡八幡宮神主は菅野氏で、伊達氏に従ってきたとされる。菅野氏は梁川天神社の神官も兼務していた。現梁川中学校の南側に神官菅野氏の古い墓地があり、この付近に菅野家の初期のころの屋敷があったと思われる。江戸期も引続き菅野神尾が梁川八幡の大宮司職を全うし、明治に至っている。ただし江戸中期に菅野氏は苗字が関根に替った。

 気になっているのは、この中の「菅野神尾」という部分だ。

 伊達市広報に「ふる里再発見」というコーナーがある。そのコーナーに現梁川中学校「茶臼山北遺跡」について以下のように紹介されているのも見かける。
 発掘調査の結果、伊達氏の主要な家臣や血縁者の屋敷、それらに付属するお堂などが存在したことが分かってきています。出土した「かわらけ」から、この遺跡では、武家の儀式が執り行われた可能性も考えられます。守護館となる梁川城跡本丸東側にこのような武家屋敷群やこれに伴う仏堂などが展開した姿が明らかになりつつあります。

 今回の発掘調査とのかかわりでは、この「守護館となる梁川城跡本丸東側にこのような武家屋敷群やこれに伴う仏堂などが展開した姿が明らかになりつつあります。」ということが、より確実性を増したということなのだろうと思う。

 気になることとかかわるのは、「茶臼山北遺跡は、発掘調査の結果、伊達氏の主要な家臣や血縁者の屋敷、それらに付属するお堂などが存在したことが分かってきています」とした後半の紹介だ。
 その「伊達氏の主要な家臣や血縁者の屋敷」とのかかわりを、「伊達の城」の「茶臼山北遺跡」にプロットされる「須田長炭塚」が常栄寺跡を推定する根拠で、その主要な家臣にかかわるのが、「神宮菅野家廟所」なのだろうと勝手な想像を膨らませている。他所者は、その「神宮菅野家廟所」ということと気になっていることが結びつかないかなと勝手な思いをいだく。
by shingen1948 | 2011-12-24 06:04 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)