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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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梁川城現地説明会に出かける⑦

 「しっかりとした柱穴が多数見つかったという状況」にかかわる説明があったのは、5番目の試掘の所。
梁川城現地説明会に出かける⑦_a0087378_640289.jpg

 なお、手前左隅が粘土の部分。柱を建てるのに、その土台部分に粘土を張り付ける場合もあるとか。かかわるものやらないものやら、……。
 「しっかりとした柱穴」というのは、その大きさらしい。

 5番目の試掘の所から6.7.8の試掘が並ぶ方向(西側)を眺める。
梁川城現地説明会に出かける⑦_a0087378_6421898.jpg

6番目
梁川城現地説明会に出かける⑦_a0087378_6441376.jpg

7番目 カラーで無くなるのは、この辺りでデジカメのバッテリーが少なくなってきたため。
梁川城現地説明会に出かける⑦_a0087378_783146.jpg
 気になるのは、小石群と溝。
8番目
梁川城現地説明会に出かける⑦_a0087378_6491531.jpg
 これが、約60メートル四方に区画されていたところから、しっかりとした柱穴が多数見つかって、寺院か武家屋敷とみられる建物があったことが分かったとされる現場ということのようだ。

 ここは、梁川城本丸の北東200メートルの地点だ。
 この調査結果と、梁川城本丸や八幡神社、輪王寺跡、東昌寺跡などの遺構と合わせて、伊達氏が力を入れた町並みをイメージするようだ。
 
 古い遺構は、新しい大きな改変によって失われることを考慮すれば、その改変は西、北に向かって進められたらしいことも考慮してイメージすることになるのだろうか。
by shingen1948 | 2011-12-22 07:04 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)