地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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梁川城現地説明会に出かける⑥

 武家屋敷跡か寺院跡と想定する根拠の一つに、「比較的区画規模が大きい」とされることとがあげられている。説明会では聞き逃したが、「福島民報」記事中には、「約60メートル四方に区画」とある。その大きさは、地籍図をもとに調査対象区とした範囲とほぼ同じ大きさだ。
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 ここが、その調査区の南西隅の地点だ。そこから、発掘調査の行われている方向を眺めている。地籍図の水路の折れ曲がりを感じているが、地図でこの地点を検索して、その付近の航空写真を眺めると、このことに実感が伴う。

a0087378_5471221.jpg  そのこととかかわるのが、堀跡が出土したとされこの調査地点だろうか。
 白線でその堀跡が示されている。
a0087378_5482798.jpg その西側に、この堀跡の詳細が堀上げられている。この試掘の大きさは8m程度ではあるが、この状況と地籍図、それに実際の地形等から、住宅が立ち並ぶ裏道の道筋に沿って、それと平行に東西に走っていると想像を膨らませた状況が読み取れる。
 この堀が、先の調査地点南西隅まで続いているということなのだろう。


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 散歩を楽しむ者にとっては、このことから見え方が変わる。この調査区まで来たこの住宅が立ち並ぶ道筋を裏道とみていたのだが、裏道などというものではなく、この道筋が、元々の道筋で、地籍図にある道筋はこちらなのではないかと勝手な転換が起きている。


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 これは、その隣の試掘の様子だが、立て札がある白線で記された所が、検出遺構ということのようだ。
 広めの土抗は、確かめられてはいないが、井戸が想像されているらしい。
by shingen1948 | 2011-12-21 05:53 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)