地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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梁川城現地説明会に出かける④~調査地点の意義を感じてみる②

 説明会資料では、発掘地点を「15世紀を中心とした武家屋敷か寺院跡とのかかわりではないかと考えられる」とする。

a0087378_4191834.jpg 鈴木啓氏の梁川城跡復元図に発掘地点を示した資料は、この武家屋敷跡と推定されるということとかかわる資料として読み取れる。

 この梁川城跡復元図は、伊達市ふるさと会館で開催された「平成21年度伊達市歴史文化講演会<北の関ヶ原>~上杉氏と信達地方~」(2009/9/19)に参加した時の鈴木啓氏の説明資料に入っていたものと同じだ。
 先にこの資料をもとに散歩していて、そのことを「梁川城③」で整理している。

 この時は、梁川中学校地付近の「茶臼山北遺跡」が常栄寺跡と推定され、そこから北、西に侍屋敷跡が広がるイメージで散歩している。
 その梁川中学校の南側の梁川高校校庭が東昌寺跡であり、その南東の高台が茶臼舘であるというイメージする散歩は「梁川城⑤~「天地人の時」を中心に」として、整理している。


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 その延長戦にこの発掘現場を眺めれば、武家屋敷跡と推定されていることが理解できる。

 ただ、散歩を楽しむだけの者にとっては、堀で囲まれた武家屋敷跡ということに期待を膨らませてしまうが、説明は慎重のようだ。
by shingen1948 | 2011-12-19 05:20 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)