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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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梁川城現地説明会に出かける②~輪王寺跡②

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 歩き回っている場所と、現地説明会の「調査対象区と周辺の遺構」の地図に描かれた地点の最初に一致点と感じたのは、東側に阿武隈急行線を跨いだ付近の水路だ。
 何となく、これが地図で阿武隈急行線から東にはみ出して描かれる地点と合っているのではないかと勝手に思った。
 この水路の延長線をたどってみると、その左側がやや高台になっている。その高台とその北側の民家との間を水路が続く。頂いた地籍図を確認しようとしたが、残念ながらのその付近は切れていた。

 先の散歩で、実感が持てなかったことについては、「上町辺り~輪王寺跡→八幡神社
でさらりとふれているが、ようするに、小心者には塩見川の南土手に抜ける公の道筋が見つらないということだ。
 それが、今回は、少しだけ踏み込めた気がするということだ。

 阿武急線の西側には102号線から線路沿いに道筋が伸びている。この道は公道で、とりあえずその道を歩いてみる。ただ、そこから水路沿いの道に入り込める公道が見つからずに引き返す。
その途中に、公道とも私道ともとれる道筋があったので、ちょっとだけ入って見るが、どちらも民家の入り口になってしまう。
 北側のラインを確かめる所まで進める道筋ではなかった。
 その途中で、家から出てきた方に、現地説明会の「調査対象区と周辺の遺構」の地図を示して、「この付近が輪王寺跡で間違いないでしょうかね」と尋ねたが、赤五輪という地名は教えて頂いたが、詳細は分からないとのことだった。
 西側のラインに近いと想像する道筋も、公道とも私道ともとれる道筋で、行き止まりが民家なので最初は遠慮した。

 そこから少し西に進むと、民家の脇をすれすれに走り、なんとか北側に廻り込める道筋があったので、とりあえず進んで東側を眺めてみると、遠慮した北西隅と思われる地点だった。
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 その北西隅に進んで、遠慮した民家の東側の索道を北に通り越して、北側から眺めてみる。それが、こんな感じだ。林の奥に高い木が写り込んでいるが、これが、現在北側の土塁と堀が少し残っているとして紹介される写真に写り込んでいる木ではないかと勝手に想像する。
 現在残っているとされるその北側の土塁と堀を直接見てはいないが、家に戻って航空写真を確認してみて、違いないと勝手に思っている。
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 案内板が、建っていた位置だが、マホロンの「輪王寺跡」で紹介される写真付近ではないかと、これも勝手な想像をする。
 そう思うのは、カードレールの道筋が写り込んでいて、「寺の南側を区切る土塁と堀」との解説だ。現102号線改良工事前は、最初に入り込んだ道筋とこのガードレールの道筋がつながっていたとの想像で、この遺跡は現102号線の下で、その手前に建った案内板が残ったという勝手な想像だ。
by shingen1948 | 2011-12-17 05:14 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)