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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

土津(はにつ)神社⑤

 写真を確認していたら、「社地復故記碑」が写っていた。
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 この碑について確認してみると、明治11年11月1日容保公の題と撰文で建立されたとのことだ(南摩綱紀の書)。
 先にこの「土津神社」について、半沢氏のメモを借りて、「まるで日光の東照宮のようだといわれた土津(はにつ)神社は、ぼしん戦争の時、敵にやられるよりは……と会津の軍によってやかれてしまう」のだが、「今の神社は1880年につくられた」としたその復故碑とのことだ。

 土津(はにつ)神社は、戊辰戦争で灰燼に帰すが、王政復古後、その社地は官有とされたため、わずかに土津公の墳墓周辺の百間余りだけとなってしまうようだ。それが、明治5年に民間払い下げとなって人手に渡ったという経緯があって、それを地元民が買い戻して松平家へ寄与するということになるようだ。
 地元の有志が、旧会津藩領全域で募金を募って買い戻したのが、明治7年とか。
 まだ確認していないが、容保公の碑文には、その文意に感謝の意を込め、増えた地所は、子孫の教育の為に使うようにとあるとのことだ。
 地元民にとっては感謝状を頂いた誇らしげなものなのではないかと想像する。

 なお、斗南へ移されていた御神体は、明治7年9月16日に隣の磐梯神社に仮遷宮し、明治13年7月28日に再建された社殿に御遷宮したとのことだ。
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「土津(はにつ)神社」から奥の院には、神社の本殿脇をなだらかな杉木立の中の登り道になっている参道を進む。

 その本殿を見やると、本殿を守るように小霊社が配置されている。
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 これも何気なく撮ったものだが、跡で確かめてみると、その家老や初代土津神社司となる家臣、そして、我が子の霊号とのことだ。
 視点を霊号におけば、この風景は、家族や家臣の霊に囲まれた祭神土津大明神正之公の霊号ということになるのだろうか。
by shingen1948 | 2011-11-24 06:29 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)