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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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土津(はにつ)神社④~土津靈神碑

 ここを保科正之公の墓所とみれば、「土津神墳鎮石」と文字が刻まれた鎮石を乗せた「保科正之公墳墓」とセットになるのが「土津靈神碑」で、これが墓碑ということになるとのことだ。これが「神道形式の墓」の様式で、院内御廟の歴代藩主の墓にも受け継がれているという。
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 この「土津靈神碑」は、神社の鳥居の脇の広場に建ち、その脇の案内板は、この碑が保科正之の履歴を刻んだ石碑であることを解説する。
 碑文は山崎闇斎が撰文し、字数は1943。神社の石碑としては、日本最大のもので、碑石(竿石)は河東村八田野から、台石(亀石)は地元土町から採石されたとのこと。

 具体的に書かれている文章は確認しなかった。安易にどこかに解説されたものがあるだろうと思ったのだが、それが今のところみつからない。

 「保科正之の履歴」と「土津神社」のかかわりについては、階段前の案内板に解説される。履歴にかかわりそうなのは、以下のようなことだろうか。
 保科正之公は、ずっと神道を尊信し、吉川惟足を師としてト部家神道の伝を学んで、道の奥義を極められたことと会津の領主としての実践が主たる経歴。
 特に、土津霊神の霊号を受けられたのは、幕府には神道方を置いて、神道精神の復興に大きな貢献をされた為に、その幕府に置いた神道方吉川惟足から、寛文十一年(1671)に霊号を「土津」と奉られたらしいこと。
 「国立磐梯青年の家」の「猪苗代町歴史探訪ガイド」によれば、霊号「土津」の意は、「宇宙の万里を究められた会津藩主」ということらしい。
 土(つち、はに)は宇宙構成要素の根元であり、万物の始めと終りであり、信実の主体とのことで、公はその道理を体得されたということのようだ。津は、会津の領主の意とか。

土津神社
 土津神社は、2代将軍徳川秀忠の第4子、会津松平家の初代藩主保科正之公(1611~1672)をお祀りした神社である。
 正之公は吉川惟足、山崎闇斎、横田俊益等当時の最高学者を師とせられ殊に当時殆ど絶えなんとした日本古来の卜部神道の大家吉川惟足を師とせられ4重の奥秘を受け継がれ会得されると共に領内の政治、産業、文化、教育、武道の基盤を定められ是が実践を図られた。
幕府には神道方を置き、神道精神の復興に大きな貢献をされた為、土津霊神の霊号を受けられたのである。
              記
 祭神土津大明神正之公の霊号
 相殿客神高良玉垂の大明神
     武内宿袮の神号
 相殿合祀3代―9代歴代藩主

 なお、先に「第2代正経を除いて、会津藩主は神式で祀られることになるらしい。」としたが、ここに「相殿合祀3代―9代歴代藩主」が見える。
 相殿のもうお一方の「客神高良玉垂の大明神」については、今のところ確認できるのは「干珠満珠を自由に操る神」ではないかという情報程度だ。
 高良の神は、敵と対峙した時には干珠を海に投げ込んで潮を引かせ、敵が船を下りて攻めて来る時には満珠を投げ込んで潮を満ちさせて敵軍を溺れさせて降参に導くとのこと。
 戦いの神としては、その玉を使いこなして、潮の満ち引きを司る神。潮の満ち引きは月のなせる技なので、月の神ともいわれるらしい。
 人は潮が引くときに、息を引き取り、潮が満ちる時に生まれることとかかわれば、「延命長寿」などの御神徳につながるものなのだろうか。
by shingen1948 | 2011-11-23 06:08 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)