地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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旧国鉄レンガ積アーチ橋④

 今回の震災で東北本線が、なかなか復旧しなかった。その復旧の様子と、「東北線誕生物語」を見比べながら確認していくと、東北本線復旧の苦労と東北線誕生の困難の多くが重なっていることが分かり、何気なく利用していた鉄道敷設の苦労話に実感を持つことができた。
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 今回、厚樫山防塁に出かけてきたのだが、ここを東北本線を通す苦労の実感と、ここに厚樫山防塁を設けて、ここで東北への侵略を防ごうとした意図が、少しだけ深く理解できように感じている。

 「貝田旧国鉄軌道敷跡町道整備記念碑文」で、「止む無く路線を変更、貝田の急勾配の所を通さざるを得ず工事は困難を極めた」事について、「東北線誕生物語」では、鉄道局長井上氏の本音として、次のように紹介する。
 白石付近は、奥羽山脈と阿武隈山地が折り重なっており、急勾配区間が12キロも続く。建設も心配だが、建設後の運行も心配だ。特に越河峠を越えるため、機関車が上れる限界勾配である25パーミル区間を何キロにわたて建設しなければならない。できれば陳情の多い白石側ではなく、阿武隈川沿いの平坦地に建設したい。
 これが、現在の東北本線のルートである。
 「貝田旧国鉄軌道敷跡町道整備記念碑文」では、「初めは阿武隈川沿いで白石に通す計画であった」とするが、元々の計画は、白石側と対立する「阿武隈川沿いの平坦地」を通す計画だったと読み取れる。そのコースは現在の阿武隈急行線に近いルートとのことだ。
 最初の案「阿武隈川沿いの平坦地」を通せば、白石が抜ける。その白石を通した阿武隈川沿いの平坦地というのは、その妥協案の時点なのではないかと想像する。

 これらの事情をイメージしている時、どうしても福島県側から見てしまうが、そうではないらしい。これ等の工事は、北から南に進んでいる。南から建設が進められた福島の地点に、北側からどう結ぶかと見ているらしいということのようだ。

 「貝田旧国鉄軌道敷跡町道整備記念碑文」では、急勾配の所を通すようになった事情を「ばい煙で、信達地方の養蚕桑園が、全滅すると言うことで反対」とする。しかし、ばい煙を忌み嫌う風潮はどのルートにもあるはず。それを越える理由があって、「建設や建設後の運行も心配な急勾配」ルートにしたはずだと思う。
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 それが、「東北線誕生物語」では資金的なものと説明する。こちらの方が、納得がいく。

 「貝田旧国鉄軌道敷跡町道整備記念碑文」で「私鉄の日本鉄道が開業」とあるように、開通時点では私鉄だ。その日本鉄道は、工事を進めながら株主を募集するという運営の中で、白石側の株主の積極的な株の購入、駅や駅前通りの用地提供等、資金提供に積極的だったと説明される。それに対して、角田地方の資産家の反応が弱かったという。

 「東北線誕生物語」で説明するこの理由によって「建設や建設後の運行も心配な急勾配」な現ルートになったという方が、福島県側の事情とするより分かりやすい。
by shingen1948 | 2011-11-17 06:29 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)