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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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旧国鉄レンガ積アーチ橋②

 「旧国鉄レンガ積アーチ橋」は、「国見町ホームページ」の「観光スポット」では、「旧鉄道用地跡・レンガ積アーチ橋」という紹介のされ方をしている。国見町の文化財指定も検討されているらしい。

 今回は、「レンガ積アーチ橋」に興味引かれてきたが、その事はもう一つの視点「旧国鉄軌道敷跡」とつながる。ここに建てられている案内板でも、「貝田旧国鉄軌道敷跡町道整備記念碑文」とあり、「旧国鉄軌道敷跡」という視点が示される。
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 この町道筋が、旧国鉄軌道敷であるという視点で、道筋を眺めれば家並みが建ち並ぶ。その中を、蒸気機関車が通ったという事で、案内板の「宿場町で家並みの直ぐ裏を通り、ワラ屋根のため、火の粉でたびたび火災が発生、線路の上に散火板(火の粉を受け止める屋根)を取り付けたと言う。」という説明に合点がいく。

 説明板にある「散火板」については今のところ確認はできなかった。ただ、その機能と線路の上に取り付けた屋根という形状に関わって、「津軽森林鉄道」に、蒸気機関車から飛散する火の粉防止のため、防火亜鉛葺トンネルが設置されたらしい事表現されているのを見つけた。
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 家並みの付近は、火の粉の飛散を防ぐための金属板でてきた屋根がかかっていたということなのだろうか。

 現在線は、奥に見えるガードレールの直ぐ下を通るのだが、ここに移行するのは、大正6年とのことだ。この家並み付近を通行することの不都合とかかわているのだろうか。


 「貝田旧国鉄軌道敷跡町道整備記念碑文
 この場所に鉄道が敷かれたのは今から115年前の1887年(明治20年)12月私鉄の日本鉄道が開業、初めは阿武隈川沿で白石に通す計画であったが、ばい煙で、信達地方の養蚕桑園が、全滅すると言うことで反対により止む無く路線を変更、貝田の急勾配の所を通さざるを得ず工事は困難を極めた。
 又、宿場町で家並みの直ぐ裏を通り、ワラ屋根のため、火の粉でたびたび火災が発生、線路の上に散火板(火の粉を受け止める屋根)を取り付けたと言う。
 開通時には町内に停車場は無く100年前の1902年(明治35年)9月に藤田駅が出来、その後明治39年国有鉄道に買収、国有化された幹線鉄道の改良整備が進められた。
 1917年(大正6年)に現在の路線に移動、貝田駅は1922年(大正11年)6月に信号所として発足1952年(昭和27年)6月駅に昇格した。
町道の整備記念に、有志相〇り浄財を募り史実を後世に伝えるため車輪を飾るる
2002年8月吉日
貝田町内会長
国見町建設課長

 なお、本当は現在阿武隈急行の線路筋に近い路線計画であったのが、ここを通すことになった事情を単純化して解説するが、「東北線誕生物語」によると別視点もあるようだ。
by shingen1948 | 2011-11-15 18:45 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)