地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

旧奈良輪家

 民家園の旧奈良輪家が建っていた元の場所は、城裏口の石造供養塔(板碑)北側の集落の山側に近い位置にあったことを推定した。
a0087378_6115148.jpg

 その旧奈良輪家が民家園に移築され、福島県の重要文化財に指定されている。この写真は、民家園を訪ねた時に撮りためておいたもの。

 福島県指定重要文化財 
 旧奈良輪家住宅
a0087378_6142187.jpg
 ・旧所在地 福島市山田字城裏口
 ・建築年代 江戸時代中期(18世紀中ごろ、約250年前の建築)
 ・概要
 住宅規模から村役層農民の住宅と考えられる。
 「にわ」(土間)の広さ、奥の「ざしき」の杉板、側面や背面の厚い土塗りの大壁造り、閉鎖的な窓や入り口など多くの古い民家の要素を持ち、福島県の県北地方でも最古の現存民家の一つであろう。
 なお、今回の組立てにあたっては、平面外観などすべての面にわたり建築当初の姿にもどした。(昭和57年度記)
 村役層農民の住宅規模とされるのは、「にわ」(土間)が広いこと、奥には一部屋の「ざしき」があるというこの住居の特色を指していると読み取れる。
 別資料によると、その規模は、面積165.9㎡(42.8坪)、木造寄棟造平屋建茅葺き。その復原が、昭和56年(1981)5月、福島県指定重要文化財になるのが、翌昭和57年3月31日ということのようだ。

 先に旧地の集落への入り口の風景を掲げたが、その前の道筋を福島道としたが、それでいいのか気になっていた。
a0087378_6161589.jpg
 福島道としたのは、好国寺へ進む道との交点に道標があって、そこに「福島道」とあったからだ。気がかりだったのは、何故ここに「福島道」を示さなければならなかったのかということだった。
 これが、半沢氏のフィールドワーク地図で確認して、合点が行った。
 この道筋は、旧山王道の道筋と重なっているらしいのだ。この道標のある交点から好国寺へ向かう道筋は、そのまま進むと鳥渡山王に至る道筋になっているようなのだ。そして、そのまま北に向かうと「福島道」なのだと案内されるものと推測される。
 なお、今回は確認していないが、この地図の「好国寺」に、「再興 山田意休夫妻墓碑 宝永元年(1704没)(長尾久右衛門もと米沢藩上杉氏家臣山田の開拓者)」のメモがある。
 更に、長尾久右衛門大学の開拓として「寛永7年(1630)頃上杉氏の新田開発奨励政策により帰農したという。猪鹿防除のため鉄砲役免除」とある。
by shingen1948 | 2011-11-09 06:24 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)