地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奈良輪家旧地推測~大森城裏口付近

 福島市民家園に移築復元された旧奈良輪家(福島市指定有形文化財)は、城裏口の石造供養塔(板碑)の道を挟んだ北側に建っていたと思われる。

 この旧地を確認するつもりはなかったのだが、「リビング福島」の「旧家巡り」に「江戸時代中期に福島市大森城山に建てられたものを移築しました」と紹介されたことが気になった。
 確かに大森「城山」の山際には、何軒かの民家が建っているようだが、そこは他の字名のはずだと思った。大森城山自体に民家が建っていたという話も聞いたことがなかった。

 とりあえず住宅地図を確認したら、城山にはその候補は見当たらないが、城裏山付近、龍温寺付近、山田付近にその候補地はありそうだと推測できた。
 後で分かったのが、そんなことをしなくても、「民家園のページ」で旧所在地が確認できた。そこに、「山田字城裏口」とある。ここなら、地区的には「城裏山」であり、「リビング福島」の紹介文を「大森城裏山」と読み替えられそうだということだ。
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 そういうことで、民家園の旧奈良輪家が城裏口の石造供養塔(板碑)北側の集落の位置にあったことを推定する。
 これは、城裏口の石造供養塔(板碑)の建っている位置の南側からの風景をとらえてみた。この民家が建っている付近に、奈良輪家の民家は建っていたという事のようだ。

a0087378_5575745.jpg 福島民家園のページに紹介されているその「やしき取り」のイメージをちょっとお借りした。
 これが、旧奈良輪家固有の「やしき取り」なのか、一般的な概念としての「やしき取り」なのかは分からない。
 「いぐね」は、大玉村周辺の屋敷取り特有のものと思っていたが、この地区でもそういう屋敷取りだったのだが、この屋敷林は、この地区では消えてしまったというに過ぎないという事が、分かる。
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 民家園で眺める民家は見覚えのある懐かしさが漂うのだが、自分の頭の中では会津の空気の中でのイメージで捉えてしまう。具体的に旧地を訪ね、その風景の中で、そこに流れる空気が漂う雰囲気の中で、捉えなおす。
 福島道からこの住居が建つ集落への入り口には、お地蔵様が建っていた。
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 それらのイメージを頭に浮かべながら、奈良輪家旧地付近の風景を、好国寺に向かう坂道の高台から捉えてみた。
by shingen1948 | 2011-11-08 06:08 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)