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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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北舘供養塔~大森城付近

 先に城山供養塔の板碑について整理したのは、芋川氏の菩提寺常栄寺跡の位置を確認するためだった。
 散歩の中では、この板碑を写真におさめることは多いが、大概はどう整理していいか分からずにそのままにしておくことが多い。
 北舘供養塔も、そんな板碑の一つだった。
 ふるさとのよさを見つけよう
 <旧跡>北舘の供養塔
a0087378_3532590.jpg
 この2基の碑は、いずれも板石の塔婆で、板碑とよばれている。
 高い板碑は、中央に文永10年11月25日とあり、その下方左右に孝子・敬白とよみとられる。この地に住んでいた名のある家の子が、我が親の供養に建てた石の塔婆である。高さ103㎝ある。
 低い方の一基は高い方の碑より2年あとの文永12年1月23日の建碑である。これは、先年この小川の改修の折に発見されたもので、これにも孝子・敬白の文字が読まれ親の供養のためのものである。
 文永12年(1275)は文永の役の翌年にあたる。

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 案内板には2基とあるが、実際には、碑は3基並ぶ。その中の2基の解説ということなのだろう。素人目には、右手の石碑は胎蔵界大日如来の梵字や内容が読み取れる気がするが、解説と違うようだ。風化の具合からも左側の2基の解説だと思う。
 気になるのは、この板碑は、野山に建てられるものなのか、それとも近くに宗教施設があって、そのかかわりでこの地に建てられたものなのかということ。
 近くに宗教施設があったのなら、この山が城となる以前に宗教施設があったということなのか、それとも、城とかかわる宗教施設があって、それとかかわってこの板碑があるとみるのかということも気になる。

 少なくとも、城山供養塔も北舘供養塔も、この城が築城されたとされる天文11年(1542)以前であるという事だけは、確かなことらしい。言い方を変えれば、この城の築城から城として機能している間も、廃城になってからも、これらの板碑はずっと城山の風景の中にあったということだ。
by shingen1948 | 2011-11-04 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)