人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

大森城⑧~出丸【ひめごてん】付近

 散歩をしてみての実感として、北追手→城山観音堂→城山配水池→本丸へ至る道筋が、「牙城に登る正大手」としたいようにも思う。その場合、虎口については、いろいろな想像が必要にはなりそうだが、それでも10年程前に学習会に参加して頂いた大森城にかかわる「天正日記」の抜粋資料で、その情景を思い浮かべるには支障ない。

 虎口がどちらでも、現在では東側からこの城山公園へ登る主たる道筋になっている南追手からの道筋は、「南舘へ登る道」であるという事で一致しているようだ。しかも、その南舘の虎口は、北東側が想定されている。
 そして、本丸跡とこの南舘は、堀切で遮断されるとするらしい。そこは共通のようだ。

 ただ、「大森城の構成」では、西側の外郭線は、南舘にも至っていたのではないかと推定しているようだ。虎口にかかわって、現駐車場から続く平場が、従属的な曲輪であるが、その谷筋に主要な登城道の一つを想定することとかかわりかもしれない。

 諸曲輪を外郭の帯曲輪で包んで城を一体化していたということが基本プランとイメージして、南舘周辺の現状を確認する。
a0087378_4282737.jpg
 南舘の虎口と想定される南館北東部までの公園への道筋は、登城道の改修ということだろうか。
公園への道筋は、ここから西側に南館をぐるりと回り込んでいるが、この部分は南館の外郭の帯曲輪の一つが改修されたものなのだろうとか。

a0087378_4311650.jpg
 今回はその確認はしていないが、「南舘南東部には櫓台状の土塁を備えた部分があるが、土塁際まで近年の削平をうけており全体の構造の中で、この土塁の意味を読み込むことは難しい」とあるのは、この辺りだろうか。

a0087378_4322181.jpg
 その西側は、現在も畑になっている。「大森城の構成」では、畑地化するために平坦化されているが、ここにも何らかの城としての遺構があったと見ているようだ。
 なお、「山形・宮城・福島の城郭」では、「この南館は本丸跡の南方の丘陵で『姫御殿』とよばれ、『東西30間許南北80間許、湮濠之を環る』とみえる」と紹介する。
 「信夫の府城:大森城フィールドワーク地図」にその呼称が「出丸【ひめごてん】」と紹介される根拠がみえる。

 搦手は、滝ノ前から登るものと、竹の内から登るものと二つあったと想像しているようだ。これは西側からの道筋に近いのだろう。字名では、「城裏口」の地名に着目しているようだ。
by shingen1948 | 2011-11-02 05:24 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)