地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大森城⑦

 今回の散歩は、手に入れた資料をもとに忠実に確認していくことがメインだった。
 この散歩を通しても、尾根に並ぶ舘については、なんとなくイメージしていたことと大きな相違はなかった。しかし、この城へ登る道筋については、今回の散歩でイメージが明確になったような気がしている。散歩を通して実感したことと、「山形・宮城・福島の城郭」で解説されることを比べながら整理する。
 「信達ニ郡村誌」に字地として「北追手」・「北舘」・「椿舘」・「南舘」・「南追手」を記されるが、これをもとに各舘と登城口とのかかわりが解説されている。
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 まずは北追手だが、この道筋は、現在も道筋として整備されている。多分、信夫中学校北側から城山観音堂へ登る道筋がこれに近いのだろうと思う。先に「安江繁家24」で芋川氏の菩提寺常栄寺の情報をもとに散策した道筋だ。


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 観音堂から更に登っていくと、北舘の城山配水池付近に出る。これは、「大森城跡を訪ねる②上杉景勝の領地だった時代」で、尾根の館を確認した後に下って確認した道筋でもある。 
 ここから本丸への虎口への道筋は逆に曖昧になったが、古墳が移設された平場に向かう道筋をそれと考えて、この道筋が本丸へ至る「牙城に登る道」で、正大手でもあったと考える方が多いようだ。
 今回は、その道筋に沿って通して登ってみた。

 本丸跡では、芋煮会を楽しんでいらっしゃる集団に邪魔にならないように通り過ぎる。トイレの修理も終わり、平常の都市公園になっていた。
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 下るときにも、ここから観音堂まで、平場等を確認しながら同じ道筋にした。
 そこから墓地を確認しながら、常栄寺跡に降りる道筋を確認しながら下ってみた。
 これが、芋川氏と常栄寺を確認する道筋であると同時に、椿舘の確認ということにもなっている。

 ただ、それも一つの見方のようで、本丸への虎口の見方によって、椿舘の位置の見方がややずれるように思う。
 先の「大森城の構成」では、主郭南側が虎口と想定し、本丸跡と南舘の間は帯郭となっているが、椿舘をその現在駐車場脇の公園部の丘陵東側付近を想定しているように思う。
 それに対して、「山形・宮城・福島の城郭」では、椿舘の位置を「丘陵東側の傾斜面で、城址より東に下り山の半腹に位置し、芋川正親の墓がある。」とする。今回は、そちらの見方で、城山観音堂左下の墓地付近から常栄寺跡にかけて道筋を確認しながら下ってきた。
by shingen1948 | 2011-10-31 05:04 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)