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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大森城⑥

a0087378_61769.jpg 「信夫之府城:大森城フィールドワーク」にプロットされる廃寺跡は、「常栄寺」の他に、「普門寺あと」がある。

 地形と位置関係から、現在いろいろな方の歌碑が建つ辺りを勝手に想像するが、どうだろうか。
 こちらは文禄元年(1592)に、蒲生氏の家臣木村吉清氏が、大森城から杉妻城に移る以前の寺らしい。
 「山形・宮城・福島の城郭」には、「この時の町屋敷の移動に伴って常光寺・誓願寺・常福寺、そして普門寺が移された」とある。

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 ただ、ここで創建にかかわる解説がされるのは常光寺のみだ。「普門寺」については、「城山観音堂の別当を兼ねていたとされる」とのみ紹介されるだけだが、この紹介で、象徴的には、この「城山観音堂」が、この城山の歴史を見つめてきたということになるのではないかと想像できる。


 信達33観音5番札所「城山観音堂」について、別当寺とのかかわりで整理すると、こんな経緯が想像できる。
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 文禄元年(1592)に大森城から杉妻城に移った時点で、大森城は廃城になる。それ以前から別当寺「普門寺」のもとで、この「城山観音堂」は存在する。この時に別当寺「普門寺」は杉妻に移るが、この観音堂は残る。
 大森城は、慶長3年(1598)上杉氏の領地になったことに関わって復活する。その城代は、誰の家臣になるかという重大な判断にかかわって混乱する。その大森城内の混乱を受けて、最終的に芋川氏が大森城主におさまる。
 その芋川氏が、大笹生の東禅寺4世とかかわって菩提寺として常栄寺を開基する。どうでもいいことだが、このかかわりは信州つながりなのではないかと勝手に思っている。
 その常栄寺が、この「城山観音堂」の別当寺であった時期もあったのではないかと勝手な想像をする。
 寛文4年(1664)に、この地が幕領になったことに伴って芋川氏は去る。
 この寺は明治になっての廃寺という情報から逆に、芋川氏が去ってもこの常栄寺はここに残ったと勝手に想像する。
 そして、この寺は明治になって、神になるか仏になるかで廃寺となる経緯をたどるが、その時点でも「城山観音堂」は残る。

 信達33観音5番札所「城山観音堂」、現在は、円通寺がその別当寺だが、それまでの経緯を勝手に想像してみた。
by shingen1948 | 2011-10-29 06:08 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)