人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

大森城④

 北舘の端に建つ展望施設から、山裾を眺めるが、草木が生い茂り地形的な特徴はよく観察されなかったが、「大森城の構成」では、「(北舘の)尾根筋が急激に下がっていく先端部は4~5段の帯曲輪が連なっていた。後世の大規模な開発を免れたため、ここは特に保存状態が良好である。」と紹介する。
a0087378_5343997.jpg
 「そこから主郭脇にかけた西側斜面には土塁を備えて帯曲輪を土塁として整えるなと、細やかな配慮が見てとれる」ことが、特に注目すべき点として紹介される。
 略測図では、主郭の北西隅付近の西側に土塁の痕跡のような描きがある。

 しかし、その手前には公園のトイレがあって工事中。それに伴う立ち入り禁止の範囲にそれがあって、覗きこむこともできそうにない。


a0087378_5382791.jpg
 ここが、主郭の北西端部とこの帯郭の南端が一致するとされる付近らしい。
 ここまでの観察は次の機会にするが、とりあえず覗き込む。


a0087378_5393821.jpg
 「ここで主郭1.2まわりの堀と帯郭が連動して大森城北半部を守る外郭ラインが形成されていた」ということらしい。
 しかし、その実感を得るには、少なくとも立ち入り禁止になっている付近の観察が必要のようだ。


a0087378_5431383.jpg
 主郭の西南隅まで道筋を進むと、南側の掘跡の続きがイメージ出来る。主郭1.2の縁を巡るこの道筋から堀を見ると、その続きらしいという想像は容易である。


a0087378_545125.jpg
 この少し手前にある下る道筋もこの主郭の掘跡と連動して西側の大森城南半部を守る外郭ラインなのではないかと勝手に想像する。

 多分、これが「大森城の構成」が紹介する以下の風景につながるものなのだと思うのだ。

 西側斜面に伸びた外郭線は、さらに主郭1.2を越えて南舘にいたった。城南側までもひと続きにまとめていたのである。…(中略)…。斜面部の連続した帯曲輪構造から、丘陵全体に広がった諸曲輪を外部の帯曲輪で包むことによって城城を一体化した大森城の基本プランが想定される。

a0087378_5473685.jpg
 これは、主郭の周りをぐるりと周って、主郭南西隅にたどり着き、その方向から見た現存する南側の空堀跡だが、この深さ4m、幅6mと推定されている空濠が、主郭を囲むように築かれていたということのようだ。
by shingen1948 | 2011-10-23 05:55 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)