地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大森城③

 椿舘と通称されるような重要な施設があったとしてもおかしくないと「大森城の構成」にいう主郭の南東の斜面と、南舘の北東斜面との間の谷を確認しすると、この城の見え方が少し変わる。
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 まず、「伊達市文化講演会」の資料「伊達の城」にある「大森城跡複合図」に記された南舘と分断するような「掘跡」に唐突感を感じていたのだが、これが自然に受け入れられるような気がしてくる。
 資料だけ見ていると、これはどんな手段で確認された事柄なのかと気になる。
 駐車場の整備作業にかかわる資料での確認なのだろうかとか、発掘調査による確認なのだろうかとか、あるいは、文献資料にあるのだろうか等々考える。それが、この谷の脇道から上にたどり着いてみると、そうかもしれないなという気分になる。


a0087378_5205410.jpg その「掘跡」がプロットされる付近を南舘方向から眺めてみる。
 現況では駐車場になっているが、その辺りの道筋をよく見ると、凹みになっているのが分かる。この右手の延長線上が確認した谷地だ。このあたりが「掘跡」であるは、地形上からの推定なのかもしれないとも思えてくる。
 いずれにしても、東舘からの道筋は遮断されると考えているのではないかと想像する。


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 それを頭において、とりあえず東手からこの椿舘と通称されるような重要な施設があったとしてもおかしくない主郭の南東の斜面へ登ってくることを想像する。大手道はよく分からない。
 すると、「大森城の構成」が「土塁を盾にした帯曲輪」という高まりが正面に見える。ここから右手に主郭への虎口が推定とのことだが、そこに向かう間、この西脇の高まりが続く。

a0087378_5351144.jpg その虎口の方を見れば、現況は芝生公園越しに、土塁が見える。その間に主郭に向かうコンクリート橋が見える。


 「大森城の構成」は、以下のように、このコンクリート橋のあたりが虎口であったろうとする。
 
 堀には、園路として使用されているコンクリート製の橋が架けられているが、中世城郭跡に造られたものとしては違和感が強い。
 橋がとりついた曲輪2南面は窪地状の坂虎口となる。他に南方から曲輪1.2に入る出入り口は見当たらず、もともと虎口が再利用されていると判断できる。しかし、現状が当時の形態をどこまで留める慎重な検討が必要である。
 まわりを注意深く観察すると、この虎口の西脇に土塁を盾にした帯曲輪が付設され虎口を横からにらんでいることに気がつく。
 虎口脇の防御処理としては無理がなく、そつのないまとめかたと言える。こうした状況証拠から細部の検討はできないが曲輪2の出入り口は現況に近い、平入りの坂虎口であったあったろ(うと)想定しておく。【「大森城の構成」より】
※()内は、脱字と判断して勝手に付加した。

by shingen1948 | 2011-10-17 05:42 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)