地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大森城 ②

 「大森城の構成」をもとにして確認したいことの一つは、主郭部分から南側の自分の捉え方の曖昧さだ。駐車場付近の平場の様子を以下のように記される。曲輪4というのが、現在駐車場から続く公園に改変された平場だ。
 曲輪4の東斜面には大規模な削平段が6~7段にわたって展開する。ある時期まで畑として使用されており、細部の評価を地表面観察から行うことは困難である。この部分は主たる尾根部からはずれており、それからみれば従属的な曲輪と評価されるが、曲輪4に登る緩やかな谷筋を直接見下ろす位置に当たり、この谷筋に主要な登城道の一つがあったことから、椿舘と通称されるような重要な施設があったとしてもおかしくない。

 確かな記憶ではないが、現在山頂付近に移されている古墳跡も、実際にはこの辺りに有ったものと聞いたような気がする。勝手に、「曲輪4に登る緩やかな谷筋を直接見下ろす位置」ということと重なるのではないかと思う。
 この事については、先に「『忘れ去られる古墳群』②~『大森城山古墳東一号墳』」として整理している。
 もう一つ気になるのが、この曲輪4付近に「椿舘と通称されるような重要な施設があったとしてもおかしくない」とする椿舘だが、「大森城周辺地籍図」には、北舘と本丸付近の東側面の位置にプロットさせる。
 これよりはやや北側の位置だが、この付近は「安江繁家24」を整理するのに地形的な確認をしている。
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 現地に出かけ、緩やかな谷筋ということも含めて、大森城を東側から眺めてみると、主郭のある北側と南舘の間にある谷が気になる。「大森城の構成」に表現されるのは、その谷の直ぐ右手の様子なのだが、こちらには民家があり、こちらから立ち入るのには気が引ける。


 谷地の南舘の側には、登り口がありそうな気がする。「大森城の構成」に、次のような表現をみつける。
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 南舘東斜面には3~4段の帯曲輪の痕跡がある。南舘北東斜面の帯曲輪は一部に土塁を備え通路を限定するなど念入りに築かれており、脇に入り込んでくる谷筋の関係からこの地区に虎口が開かれていた事が示唆される。

 このことと関わる道筋ではないかとは思うが、とりあえず上から眺めて確認することにする。
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 おおよその地形を頭に描きながら上まで来ると、妙見尊の碑を案内される道筋が気になる。この道筋は、先に見た谷地の北側の城郭の南縁辺りになるはずだ。


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 案内される石碑よりもやや下って、石碑越しに曲輪4付近を眺めると、こんな感じだ。
から眺めてみると、妙見の石碑がある道筋が気になる。この道筋が、曲輪4に登る谷筋ともかかわるような気がする。


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 更に下って、東側を眺めるとこんな感じだ。ここが、南舘と分断される谷地の北側寄りの道筋であることが分かる。季節的に地形の確認には適さないのでここまでにするが、少なくともこの道筋は「曲輪4の東斜面には大規模な削平段が6~7段にわたって展開する」方に向かうようで、下から眺めた南舘北東斜面方向の道筋とは遮断されているようだった。
by shingen1948 | 2011-10-15 05:51 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)