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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大森城へ

 大森城は、何度か訪ねているが、最後まで城として見たという実感はない。
 どこか中途半端な見方になるのは、散歩がてらに出かけるので、つい別のものに目がいってしまうからということが、大きいかもしれない。しかし、それだけでもない。
 元々完全に分かっていることには興味がないということもある。この城は、この地の他の城や舘に比べて、資料が充実している。
 それよりは、誰も目を掛けない分からないことだらけというようなものに目が行く。そんな自分のものの見方にも気づく。

 一方で、何の資料も持たずに出かけて偶然に興味のあることに出会うという散歩の楽しみから、資料で確認したことを頭に置いて観察するという散歩も楽しみ始めている所でもある。
 
 今回は、「福島の中世城郭」の「大森城」を理解しようと、略測図をトレース紙で写し取って確認していいたら気になることが出てきた。a0087378_622844.jpg
  その一つは、南舘と主郭の間の東斜面の谷筋だ。今までは、南舘を意識せずに切り開かれた道筋に沿って登って来ていた。ここを確認したくなった。
 出掛ける前に、「伊達市文化講演会」の資料「伊達の城」にある「大森城跡複合図」も確認してみた。おおよそは同じ図だが、南舘と分断するような「掘跡」が記されていた。
 「福島の中世城郭」に資料として「大森城跡・大鳥城跡2」附編「大森城の構成(千田嘉博)」の部分が紹介されているが、これとかかわりそうなのが、「南舘周辺の構造」の項の以下の部分だろうか。
 南舘から西に伸びた尾根筋に対しては掘りを構えるなど何らかの処置がとられた確実であるが、現在は次第下がりになる畑になっており、遮断遺構を確認することはできなかった。
 ただ、ここでいう遮断遺構は、南舘に対する南東方向のような気がするが、図は南舘と主郭等を遮断する遺構跡としているような気がするという違いはある。

 もう一つが、主郭の南面の掘の遺構の東西方向にどう延びていたかの想像だ。この遺構は、唯一城らしい遺構なのだが、これが東西に延びたあと曖昧になる。これをどう想像するかというヒントを得たような気がするので、これを確認したかった。
by shingen1948 | 2011-10-13 06:26 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)