「『宮脇遺跡』~第6次調査現地説明会」に出かけてみる⑤
2011年 10月 01日
その池が、ここから南側に広がる。
その推定のラインが、2本白線で池が埋められた後に整地された面に記される。
説明はなかったが、推定線1をもとに溝を掘り、池の端を確認していく過程を通してより確実な推定線2を導いてきているのだろうと勝手に思う。
溝の中の様子も分かる角度からを覗いてみると、石積みの地点と重なるのが推定線2のラインのようだ。この石積みが、池の縁だろうと推定したのだろうと思う。
東側から覗き込む。
勝手に、東側に比べ大型の石を使用しているように思う。機能的な側面だけでなく、景観としての側面もあるのだろうか。
今年は仏堂の西側の基壇や池の広がりの様子が説明され、それまでの調査と合わせると、全体的な建物配置の中で、仏堂の石積みの基壇のすぐ下に池がどんな風に広がっていたかが分かったということのようだ。
南東側が寺の入り口だろうか。そちら側から坂道を登って寺に着くと、庭園の池の中に総瓦葺の仏堂の建物が浮かんでくるというようなイメージだったと推察される。