地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「『宮脇遺跡』~第6次調査現地説明会」に出かけてみる③

a0087378_5172672.jpg 頂いた「南西コーナー」の資料は1号建物跡の「南西隅」の様子だが、この辺りは二つの意味がありそうだ。
 その一つは、1号建物跡の「南西隅」の様子であり、もう一つが、庭園池と1号建物跡とのかかわり及び池への入水装置の様子があるらしい。
 地元紙も、「1号建物跡の『南西隅』の様子」という観点から、今回の発掘調査について伝えていた。

 「基壇となる石は、これまで発見された建物の南西の角に、建物を囲うように並び、大きさや形がほぼ均一になるよう加工されている。」としている。


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 新聞には「大きさや形がほぼ均一になるよう加工されている」様子の写真が掲載されていたが、建物(仏堂)の南西の角の基壇となる石という観点から見ると、こんな感じだろうか。


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 報道では、「造成に財力や権力が必要な基壇が確認されたことで、当時現地を治めた伊達氏が建てた可能性が極めて高くなった。」とした。

 「基壇となる石」にこだわるのは、2009年度の発掘調査で建物跡の南側と東側を囲む掘割のような溝と石組みが見つかったが、この時点ではこれが明確に建物(仏堂)の基壇となる石だということになっていなかったこととかかわるようだ。
 この2009年度の石組にかかわる事については、「『宮脇遺跡』~第6次調査現地説明会に出かけてみる②」で整理している。
 なお、この報道では、この成果を宮脇遺跡の広がりという観点で解説されていた。この遺構は、学頭坊とのかかわりかもしれないとも。
 この時の説明会の中では、それぞれの遺構が、石垣等で区分けしている可能性があるとの見方につながるものとしていたところだった。

 これが、伊達氏建立の根拠の一つとなるということのようだ。
 今のところ、この宮脇遺跡を霊山とかかわるカテゴリーで分類しているが、伊達氏とかかわるカテゴリーとの重複の色彩が濃くなってきている。
by shingen1948 | 2011-09-29 05:28 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)