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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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平田舘

 今回の飯坂近辺の中世城舘の散策の整理は、この「平田舘」までとしたい。
 飯坂近辺の中世城舘の中心は大鳥城だと思うが、いろいろな想像を掻き立てるという意味では、この「平田舘」が魅力的だと思っている。
 その一つの魅力は、大鳥城を中心とした佐藤氏の支城散策の出発点ということだ。
 この「平田舘」から、「五郎兵衛館」・「高舘」、そして「大鳥城」周辺を散策し、「芋殻舘」を巡るというイメージが浮かぶ。佐藤氏とかかわる「医王寺」を加えてもいい。
 もう一つは、その佐藤氏とかかわって芭蕉が訪ねる「奥の細道」との関連だ。
 芭蕉一行は、瀬上から奥州街道を外れて飯坂に向かうのだが、この道筋はよく分かっていないらしい。しかし、摺上川の河岸段丘上をやってきた可能性は高いと思われる。その道筋が、この「平田舘」の高台を挟んで二つの道筋に分かれていて、そのどちらの道筋を選んだかという興味が湧く。その興味ある道筋の分岐点に「平田舘」がある。
 国文学にかかわりのある方は、「飯塚」と「飯坂」の混同が、道筋に関わるはずということで、飯塚経由の道筋を主張することが多い。南側の道筋というのが、専門家と称する方々が選ぶ道筋のようだ。
 この辺りを散歩する者にとっては、感覚的になかなか納得できない。自然さがないと思うのだ。専門家の権威は大切だとは思うが、自分の感覚を主張してみたのが「飯坂近辺の奥の細道:自分の散策と比べてみた」という整理だ。
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 この感覚は、自分だけではない。地元の方にも同じように感じている方がおられる。
 「平田舘の北側を通る『奥の細道』」は、地元の方の思いだ。
 
 ただ、これには、そうあってほしいと思う心理も働いているのかも知れないとも思う。というのは、この道筋には高石仏供養搭群があり、時代を越えた雰囲気のある風景があることだ。ここを通ってほしいなあという思いがある。
奥の細道を探る②~大舘あたり」では、そんなこだわりを整理してみた。
 その中の板碑群に視点を宛てたのが、「奥の細道寄り道:平田舘と高石仏供養搭群付近」の整理だ。
 ここを通らなかった可能性があるのなら、せめて供養搭群は観ていてほしいという思いの「奥の細道を探る③~板碑にこだわって」もある。

 平田舘付近はこんなふうに何度か整理している。しかし、舘そのものとしての整理は少ないなと思う。その中では、「奥の細道を探る④~平田館」が「平田館」そのものの整理だろうか。それでも、「奥の細道を探る」中での整理だった。
by shingen1948 | 2011-09-25 05:13 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)