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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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 「福島市の中世城舘」では、下飯坂のこの「舘」について以下のように整理し、飯坂氏とかかわる説についても紹介する。
 立 地:自然堤防
 築城者:石栗勘解由の居城(信達一統志)
 時 期: 慶長年間(信達一統志)

 この舘に立ち寄ったのは、大笹生の安江五郎左衛門氏についての興味だった。
 上杉氏の会津移封で、安江五郎左衛門氏と石栗勘解由氏は、共に500石で、情報として曖昧だが、同心馬上30騎、足軽100人で仙道へ。それが、寛永8年分限帳200石の信夫の役人ということで、似ている立場だ。
 安江五郎左衛門氏と似た立場の下飯坂の石栗勘解由氏ということだった。
 ただ、訪ねてはみたが整理はしていなかった。
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 どちらかというとこの舘の南に建つ石栗氏が創建したという「金源寺」に関心があった。その「金源寺」については、「安江繁家⑬」に、「福島市寺院名鑑」で確かめたことを以下のように整理している。
 「金源寺の由緒沿革の中に、次のような説明がみつかる。
 延享3年(1746)寺社奉行に提出した『開基由緒書上書』によると、『当山開基上杉景勝之家臣石栗勘解由、慶長2年(1597)越後国岩船郡小川村金源寺を当村に移造立候。右勘解由来孫只今羽州米沢上杉殿ニ候』とある。」

 この金源寺は、石栗将監氏の菩提を弔うために、その跡を嗣いだ勘解由長次が同地区柳屋敷地内に宝聚山金源寺を建立したということらしい。なお、石栗家の現況にもふれ、「今も米沢に在住、曹洞宗東源寺の檀家総代を勤める」ともある。

 安江繁家氏の菩提寺である大笹生の「安楽寺」創建が、根津監物氏とすることと比べているのは、大笹生の根津氏が安江氏の嗣子に入るという状況で見えなくなった意図を確認したかったからだ。その事については、「安江繁家29」で整理している。

 金源寺を訪ねてみたことも整理していないのは、史跡として整理するには石栗氏への弔いの意識がまだ生々しいと感じたからだ。
 なお、石栗将監氏については、次のように整理している。
 慶長3年(1598)上杉家臣の石栗将監長広は、二本松の芦立城の城主となり500石を領した。
 慶長6年(1601)200石に減らされ、信夫代官となって、下飯坂舘に居住し寛永2年(1625)に没した。

by shingen1948 | 2011-09-19 05:20 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)