高舘周辺散歩③~大鳥城についての情報を意識して②
2011年 09月 18日
途中に大手門の石碑が建つ。「福島市の中世城舘」に「この上位砂礫段丘上東端付近には大門の地名が残り、大手口にあたっている」と解説されることと重なる。
また、「大鳥城についての文献的考察(東北学院大学教授小林清治)」が「字舘のあたり、すなわち大鳥中学校の校地およびその東、堀切の跡から西のあたりであったかと推測される。」とする。
石碑の北側に延びているこれが、その堀切の跡だろうか。
それなら、ここから西側と大鳥中学校の校地を、小林氏は佐藤庄司の居城と考えているということか。
ここからの道筋は、堀切の跡を北に進むものなのか、更にその道を下るものなのかは、分からないが、散歩としてはそのまま下る。
下ったところが、温泉集会所となる。この直ぐ下が「大門の湯「の共同浴場になる。温泉集会所は、今回の震災で崩れたらしい。
「福島市の中世城舘」に、「(この上位砂礫段丘上)東端は「大鳥城記」では出城とされ、現在の温泉集会所の東に見られる石垣を当時の石垣の一部としていると紹介される。」とある。
温泉集会所の平場に下りる手前からは、小川の対岸の河岸段丘まで見通せる。下に見えるのは温泉集会所の平場面なので、目隠しがなければ、ここからもよく見えるはず。
これは、下り切った位置から眺めている。この道を真っ直ぐ進めば、八幡神社に向かう。温泉集会所は、この坂を登り始めて直ぐに右に回り込む。
ここは、先の散歩の「花水山孝徳寺」ともつながる地点でもある。
そう思うと、温泉神社の脇を進み、大門の湯の源泉に出る道筋が気になってくる。
平泉が世界遺産となり、阿津賀志山防塁も国の指定の範囲を広げたいと調査も進んでいるようだが、信夫の里の入り口「石那坂の戦い」で頑張った佐藤氏の居城「大鳥城」付近は静かだ。
おかげさまで、ストリートビューと併せて位置が把握できました。この週末にでも探索に行ってみます。
ありがとうございました。