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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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高舘周辺散歩②~大鳥城についての情報を意識して

 「福島市の中世城舘」で大鳥城を確認するが、情報としては先の散策時の時と大きくは変わらない。ただ、細かい部分では、いろいろな説が紹介されたり、その説の情報源も示されたりしていて、想像を膨らませるのに参考になる。
 大鳥城の周辺は、何度か散策してはいたが整理していなかった。今回は、本城に直接向かうのではなく、大鳥城情報とかかわりながら周辺を散策する。
a0087378_572095.jpg
 散歩の道筋としては、飯坂トンネルの西側の急な坂道を登り、やや平地になった所で右に折れ、大鳥中学校を回り込んで、校門前の道の南側の細道を東に下り、大門付近へたどり着くコースとする。
 このコース、高舘公園南側の「ふくしまの散歩道50選」の案内では道筋も省略されている。多分、この道案内は車での移動可能な道筋を想定しているのだろうと思う。
 旧中野道を西に進むと、昔は真っすぐ進めたのでそのつもりでいたら、飯坂トンネルを抜ける道筋の開通に伴ってそこを横断することができなくなったようだ。
 新道まで回り込んで横断して、道を挟んだ中野道に戻る。

 そこから、飯坂トンネルを南から眺める。
 このトンネル付近は飯坂中学校の南斜面にあたる。「福島市の中世城舘」には、以下の情報があった。a0087378_592256.jpg
 大鳥中学校の南側には岸窯跡が位置する。昭和63年に物原の調査が実施され、膨大な陶器片及び窯道具が出土している。「正保□年 五月」銘の壷から、17世紀中葉頃に開窯した窯跡であることが判明した。

 トンネルの西側の急な坂道付近を登る。
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 写真では、坂道の傾斜がそれ程ではなさそうに見えるが、実際はかなりの急こう配だ。
 坂の途中に、サルに注意の立て看板を見る。熊よりはいいかと思う。


 大鳥中学校へ回り込む地点に案内柱が建つ。
 正面に見えるのが野球場で、そこを左に折れた道筋を進むと大鳥本城への道に出る道筋がある。
a0087378_5303979.jpg 「福島市の中世城舘」は、この坂道が大手口だと推定する説を紹介する。
 大鳥中学校の東には掘切状の谷地が見られ、その南には「御荷越」の地名が残る。小室によれば、大鳥城は当時南向きの城であり、「御荷越」が大手口と推定している。

 右手が大鳥中の校庭だ。案内柱は、右手の道筋を進むと大手門まで350mを案内する。今回はそちらを進む。
 なお、案内柱には、ここが「御荷越」であることと、旧跡高舘まで550mも解説する。
 「大鳥城についての文献的考察(東北学院大学教授小林清治)」という資料の「信夫佐藤庄司と大鳥城」の項では、大鳥城が佐藤庄司の居城とする説は、歴史的な事実として差し支えないだろうとした後、平安期の居城は大鳥中学校地付近だろうと推定する以下の記述がある。
 平安期の信夫佐藤庄司の居館は、大鳥城の山上の地ではなく、字舘のあたり、すなわち大鳥中学校の校地およびその東、堀切の跡から西のあたりであったかと推測される。
 これは、本文での「(大鳥城の)東側の上位砂礫段丘上には、舘、赤舘、中赤舘の地名が残るが、これは根子屋郭とされる。」と解説されることとかかわるようだ。
 
 だとすると、この校庭の端が、平安期の信夫佐藤庄司の居館の北西隅付近ということだろうか。
by shingen1948 | 2011-09-17 05:42 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)