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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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高舘③

 「飯坂城」も舘の遺構としては破壊されていたのだろうが、それでも単なる散歩をする者にとっては、舘があってもよさそうな地形だなと思えた。その中で、位置図と地籍図を重ねた図と現況から気になる道筋を見つけることができ、少し想像を膨らませることができたなと思っている。

 しかし、この高舘の場合は、そういう雰囲気も感じない。位置図と地籍図を重ねようと思った時も、こんな感じかなというようなものもなかった。
 更に、現況は飯坂南部土地区画整理事業に伴う整備が進んでいる。古い風景の痕跡はもうどこにも残っていそうもない、そんな雰囲気だ。

 そうは思いつつも、付近を何度かぐるぐると回っていて気になってきたのが、舘の南東方向に河岸段丘が舌状に延びていることだ。こちらの方向には、舘に向かう二つの道筋がみえる。この地形とかかわって二つの道筋に分かれているのではないかと思えてきたのだ。少なくとも舘の北東角をかすめる道筋の部分は、この河岸段丘の縁の低地を走っているのではないかと勝手に思った。
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 河岸段丘の縁を意識して河岸段丘の北側の縁を眺める。
 この河岸段丘の縁が、北側にカーブする辺りが舘の北東角をかすめる道筋と重なるのではないかと勝手に想像する。


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 その角から河岸段丘を眺める。勝手に、この縁沿いに道筋を想像しながら、目で追っていくと、段丘が削られたような地形が現れる。


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 この凹み自体が土地整備に伴う新しいものかどうかは分からない。しかし、元々の地形が顔を出したことだってあるだろうと勝手に思い、この部分が舘の北側の縁なのではないかとこれも勝手に想像する。
 実は、ここを駐車場として借り上げた時の係になったことがあって、車の整理にこの凹みが気になったことを思い出した。

 ここから道筋は、やや西側に寄りながら北側に進むが、これも河岸段丘の縁に沿いながら北に向かう道筋なのではないかと想像する。


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 現況では角度は違うし、真っ直ぐ登る道筋にもなっているのだが、とりあえずこのラインが舘の東側のラインに近いのではないかとイメージすることにした。
 そうすると、舘の位置は自分で位置図と地籍図を重ねた図よりも、もっと南側になるのだろうかとも思える。


 もう1本の道筋だが、これも勝手に舌城の地形を回り込んで南側からこの河岸段丘に登る道筋だと思う。
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 とりあえず、先に整理した農業試験場の入り口の南の土手の上から舘方向を眺めてみる。その坂道は、植え込みで遮断しているようだが、昔気になった土手の桜並木は、今でもずっと続いて残っている事が分かったことが収穫だ。
 ただ、現況からは勝手な想像をすることも難しい。

 北に延びる道筋だが、方向的には大門付近に延びて行くのだろうかと勝手に思う。

※ 福島の放射線量微妙に下がったなと思っていたら、9月1日に「管理上の都合で」東駐車場から北駐車場に測定値を移動したためということのようだ。こちらは、アスファルトなので数値としては少しづづ下がる可能性があり、これを気にする市民にとっては精神的によさそうということなのだろうか。
by shingen1948 | 2011-09-15 05:24 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)