人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

飯坂城(飯坂古舘)②

 「福島市の中世城舘」によると、現状ではこの「飯坂城」の痕跡を全く確認できないとのことだ。そのため、他の舘や城については概測図を示していたが、ここでは城跡と思われる部分を○で囲った位置図として紹介する。
 本城があるのは、摺上川右岸に発達している中位砂礫段丘上の東端付近だ。ここは、旧飯坂警察署跡地付近にあったるという。ここは、その前に飯坂小学校が建っていた所のようで、痕跡はこの開発によって破壊されたということのようだ。
 その段丘、西の方からせり出しているのだが、その標高は、パルセ飯坂付近で約109m、本城位置で約104m、更に東のやや低い下位面で約95mとのことだ。

 「古舘があったという痕跡はない」とのことだったが、単なる散歩をするものにとっては、少しでもイメージが深まればそれでいい。位置図と地籍図を重ね合わせた図を描いて、その図とのかかわりを確認してみた。
a0087378_5252089.jpg
 図を見ると、河岸段丘の南の縁に沿って温泉神社までの道筋があったように思える。まずは、その道筋を確かめる。ここは崖の南側の縁にあたり、南縁の地形的な特徴がイメージできそうに思う。


a0087378_5274791.jpg
 次に、この段丘を南北に走る道筋を確認しようとして驚いた。その道筋は、公園の西の入り口付近にあたるのだが、図と見比べると古い道筋が残っているのだ。
 ここを公園として捉えれば、その中の古い道筋など消えてしまいそうなものだが、それがそのまま残っているようなのだ。


a0087378_5304100.jpg
 ただ、公園を出てこの南側崖を下る道筋は、民家を避けるためか少し西側に寄ったようには思う。それでも古い道筋に近い道筋が残っている。城としての痕跡はないのだが、古い道筋の痕跡は残っていたということだ。
 今回は、それを見つけたことで自己満足している。
by shingen1948 | 2011-09-11 05:33 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)