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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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飯坂城

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 ここは、先には「飯坂古舘」として整理したところだが、「福島市の中世城舘」では「飯坂城」としている。





 そして、本城築城者を次のように紹介する。

 
 阿津賀志山合戦で功を上げた伊達郡を与えられた中村朝宗は、建久3年頃に移り住み、同年朝宗4男為家も伊達郡に移り、その曾孫政信(飯坂小次郎伊賀)は上飯坂の湯山城を居城として飯坂氏と称したとされる。(福島市の町と村)
 なお、「信達ニ郡村誌」に記載される飯坂右近将監宗康は、大鳥城記によれば、飯坂氏の12代目にあたっている。
 築城者としては、「信達ニ郡村誌」によって飯坂右近将監宗康で永禄年間としている。

 付近を散歩する者にとっては、阿津賀志山合戦で対戦相手である佐藤氏の「大鳥城」の東側という位置に、その阿津賀志山合戦勝者の朝宗4男為家とかかわるその曾孫が居城するということの意識になる。
 この近くには、その家老築城「芋殻舘」がある。更に、先に散策した家臣の「五郎兵衛館」・「平田舘」というイメージが広がる。位置的には、それらの舘と大鳥城との間に割って入るというような関係だ。

 この城については、先に伊達氏を追っていく中で、「飯坂古舘は伊達朝宗第四子為家が築城」として整理している。
 更に、「飯坂散歩⑧:飯坂古舘あたり」で、家族と飯坂散歩をしたことについて整理しているのは、飯坂氏の菩提寺である「天王寺」の散歩とのつながりを意識している。

 その飯坂氏と天王寺とのかかわりを、以下のように整理している。
 ○ 飯坂散歩⑨と天王寺
 ○ 飯坂散歩⑪:天王寺と飯坂氏のかかわり②
 ○ 飯坂散歩⑫:天王寺と飯坂氏のかかわり③
 なお、大笹生の舘主を瀬上氏とする説とのかかわりで、「安江繁家⑯」の整理も、以下の部分でこの飯坂氏とかかわるかもしれない。
 (康秀<瀬上氏>は)、永正13年(1516)2月に、飯坂但馬重豊氏(下飯坂氏の祖で、飯坂家5代重房の子)の讒言にあって、稙宗に誅されている。また、この康秀には、嗣子がなく、猪苗代備中盛連の3男宗康を養子とする。
 この後を嗣いだ宗康は、稙宗から養父の康秀は無罪だったとして5000石を与えられたとされているようだ。
 この瀬上氏が大笹生を引き上げるのは、この宗康の子信康の時代だ。

 「福島市の中世城舘」では現状ではその痕跡を全く確認できないということだが、そこに付近の地籍図も載っていたので、それと位置図を重ねた図を持って出かけてみた。
by shingen1948 | 2011-09-10 05:20 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)