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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「舘跡の道」②~「五郎兵衛館」⑤

 消えた案内板には、「「奥の細道」は、星の宮を交点として瀬上から医王寺への東西の路であり」ということで、この「舘跡の道」につながる手前の道しるべについてもふれていた。
 この事については、「飯坂古道『星の宮』周辺散策~『奥の細道』とクロスする」でふれている。

 この時に確認した道標は草の中だった。
 実際の道標では確認できなくて、この地蔵堂前の案内板の説明を以下のように引用している。
 医王寺への方向や、瀬上・福島・飯坂の方向を示しているという。上下には「南:ふくしま道・北:湯野村いい坂湯の道」、左右には、「西:寺への道・東:せの上道」とかいてある。

a0087378_5103958.jpg
 これが、今はすっきりと整備されていて、その文字もすっきりと読み取れる。
 中央に「南無阿弥陀仏」、右側に「北:湯野村いい坂湯元へ」、「南:ふくしまへ」が読み取れる。
 地蔵堂の説明板にあった「左右には、「西:寺への道・東:せの上道」とかいてあるとのことだったが、これは読み取れない。
 自分の勝手な見方なのだが、この道しるべは「平田舘」から河岸段丘沿いに進んできた者への道案内となっているような気がしている。どうしてもこの道筋が「せの上道」なのではないかと思ってしまうのだ。
 この見方は、「奥の細道自然道」もその他の専門家の方々も現瀬上街道を「せの上道」としているので、勝手な見方であるのは確実なことではある。ただ、散歩人は、現瀬上街道の「せの上道」は大笹生の「せの上道」で、この河岸段丘上の「せの上道」は飯坂と医王寺付近の「せの上道」なのではないかとも勝手におもい込んでいる。

 どなたの「奥の細道」の道筋も重なるのは、「星の宮」から「五郎兵衛館」を経由して「医王寺」へ向かうという部分だ。
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 その「星の宮」から「五郎兵衛館」へ向かう道筋に入ると直ぐに視界が開ける。これから向かう「五郎兵衛館」、そして仏坂を越えた「医王寺」の丘を見ている。陰で見えないが、その奥には、小川を挟んでこの河岸段丘と対峙した丘には大鳥城が……。
by shingen1948 | 2011-09-08 05:18 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)