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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「舘跡の道」~「五郎兵衛館」③

 この舘には、「奥の細道寄り道」で立ち寄ったのが最初だ。
 舘そのものへの興味もあるのだが、意識のどこかで舘付近の道筋が気になっている。
 今は撤去されているが、先の案内板では「文禄2年(1689年)芭蕉が通った「奥の細道」は、星の宮を交点として瀬上から医王寺への東西の路であり、地蔵堂のあるこのあたりが、舘跡の道と伝えられている。」としていた。
 更に、「ここ(標柱)は東南のすみにあたり、ここから西南までを土塁を回らし、土塁の外側に濠を切り東西65件(117m)南北72件(130m)の舘であった。」も気になっていた。
 
 散歩後に、このことを頭に置いて地籍図と概測図を見比べて眺めてみた。ここからは、散歩を通して感じた個人的で勝手な見方でしかない。

 気になったのは、二つの道筋らしきものだ。
 まず、「地蔵堂のあるこのあたりが、舘跡の道」ということを念頭に眺めてみる。
 三叉路はそのままだが、北に直進する道は途中で折れて、西に向かうような気がする。ただ、現況ではこの道筋はない。
 もう一方の道筋は、案内板から今の西側に向かう道筋と同じように進むのだが、途中から北に向かう道筋になる。これが、西側の掘沿いの道になっているような感じだ。
a0087378_44929.jpg
 ここが、先の散歩で気になっていた石碑だが、これを北に向かうとその「掘沿いの道」に重なるような気がしている。現況では、この道筋は民家のための道筋になっていて、桃畑の所で行き止まりになっている。これを勝手に旧道筋と思えてきている。この道筋が、先の三軒の民家まで続いていたように思いこんでいるのだか、どうだろうか。

 次に、地蔵堂を北進した道筋が途中で折れるのは、掘のせいなのではないかと勝手に思う。その南掘沿いの道を進むと先の西掘沿いの道とクロスする。
 この道筋からは、逆コの字型に折れ曲がって舘の中に入る道筋も想像する。この折れ曲がり方が、地形とのかかわりなのではないかと勝手に思う。

 西の寺に向かう道筋も、勝手に二つ想像する。
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 その一つが、舘の南西隅から西に向かう道筋だ。これが、現況の医王寺前駅ホームを越して寺に向かう。現況の医王寺前駅ホーム前の柵が切れている辺りと舘の南西隅を結ぶ道筋を想像してみてはどうかと思う。
 これは、「医王寺前駅ホーム」・「土塁跡に建つ火の見櫓」・「堀の位置を想像する民家屋根」だ。


a0087378_425313.jpg
 もう一つが、西側の掘跡沿いの道筋の北隅から河岸段丘上を西に進む道筋だ。この道筋は、舘中の道筋とも重なっているのではないかと思う。
 現況では、河岸段丘上での北の端の踏切に出る道筋が、それに近いのではないかと勝手に思う。
 これは、その踏切から医王寺前駅ホームを見ている。

 案内板の表現を確認する。
 「舘跡の道」は、そのままで納得できる。
 「(ここを)舘の東南の隅とし、ここから西南までを土塁を回らしていた」とあったが、この案内板の位置を土塁跡付近に想像すれば、これも納得がいく。
by shingen1948 | 2011-09-07 05:20 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)