地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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古舘

 「古館」について確認してきたが、次に、その近くの「古館」を確認する。ここは、先に「岩井備中守館跡~古舘」として整理している。
 先の整理では、この古舘も岩井備中守館跡とした。これは、「「平野の伝承とくらし」の地元の言い伝えによっている。しかし、「福島市の中世城舘」では、この舘の築城者・年代は不明としている。

 今回の目からうろこは、「福島市の中世城舘」では、次のように南西隅の土塁と空掘り跡から解説していることとかかわる。
 民家敷地内に土塁と空掘等が存在する。
 内側に土塁、外側に空掘が見られ、南西隅にあたり、北に40mほど土塁は残る。土塁内側には平場が2段に観察できる。敷地内の遺構保存状態は良好である。

 このことによって、先の散策での見落としに気づく。
 その一つが、この近づき方は、散策のこだわりを外していることだ。

 先の散策では、大ケヤキや稲荷神社の土塁を中心に整理している。
 この時のたどりつき方が甘かった。
 まず、目印の大ケヤキを目にして、畦道からその土塁を観察した。
 それから、道なりに南側に回り込んでみた。すると「古舘」の案内柱が建っていたので、その案内に従ってこの土塁に近づくという事だ。
 なお、ここに案内板が建つが、その説明は、主に大ケヤキを解説するというものだった。

 今まで心がけていた現地観測の原則は、まず、めぼしいものがあったら一度立ち止まり、ゆっくり周りを眺めて近づかないということだった。
 次に、一歩下がって遠ざかり、全体を見回すことだった。
 めぼしいものに近づくのはそれからにするというのが、自分の観察のこだわりだったはずだった。
ずっとそうしてきたつもりだったが、ここでは直ぐに近づいてしまったようなのだ。

 次が、そのために見えなかった事があったということの気づきだ。
 「福島市の中世城舘」を読んでも、南東隅の様子が思い浮かばなかった。
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 出掛けてみると、確かに概測図に土塁と空掘として示された位置に林があった。その林の内部を伺う事は難しかったが、ここに土塁を想像することは容易だった。
 この外側に空堀が走っているともいうが、ここからは確認はできなかった。


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 西側を回り込んでみると、桃畑に出た。
 後の確認で分かったのだが、ここが先に整理した東西に走る土塁の北西隅にもあたるのだ。「福島市の中世城舘」によると、ここは耕作等により破壊されたものと推定されるらしい。

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 つまり、この西側の土塁を意識した事で、北側土塁の北西隅が意識できたという事であり、そのことで、舘跡の二次元的な意識に近づいたということだ。
 その実感だ。
by shingen1948 | 2011-09-02 05:29 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)