地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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古館②

 この舘跡を「金剛院の北側が舘屋敷という地名で、この土地の西の畑の中に、堀跡があるという。北側には、「舘ぼり」と呼ぶ堀があるという。」と整理ししていた。
 昨日は、「西の畑の堀跡」の確認を整理した。
 今回は、「北側には、『舘ぼり』と呼ぶ堀がある」という部分の確認だ。本当は、こちらは先に整理していると思っていた。ところが、こちらもまだ整理していなったことに気がついた。

 先の散策は、「平野の伝承とくらし」をもとにしている。ここでは、A氏談をもとにしているのだが、そのA氏の屋敷の北側の掘りを「館掘り」と紹介するのがメインだ。
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 (ここは)「館掘り」といって、幅2~3m、長さ40mの掘があります。昭和10年頃までは、春から秋にかけては釣り堀、冬はスケート場として楽しんだ場所です。
 現在は、畑になっていますが、掘跡は窪みになっています。
 ここが、その「館掘り」の北東角にあたる付近と想像している。ここは、地形的に、A氏屋敷の北側の一段低い部分だ。今回確認する中で、屋敷の東側の道筋のカーブは、この地形が合わせているように思えてきた。
 このカーブを西に延ばすと、掘りに沿う外側の高台に並ぶ石碑群に重なるように思う。
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 「福島市の中世城舘」の概測図が示す「西側の掘りと土塁」に、「平野の伝承とくらし」が示す「館掘り」の北東角とを重ねるとこんなイメージだろうか。ここを結ぶラインが北側の不明瞭な掘り跡と想像してよいのだろうと思う。


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 なお、「平野の伝承とくらし」に掲げる図では、掘跡と想像できるラインを提示している。
 そのうち、西側は掘跡と土塁跡という確からしさの可能性が高いようだ。それに比べて、北側のラインは、その確からしさの可能性はやや低くなり、東と南のラインは想像でしかないという範疇のような気がする。
 この曖昧さがはっきりしたことで、かえって「平野の伝承とくらし」が描く「館」の周辺図に実感が伴う。


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 南と東のラインは曖昧だが、「平野の伝承とくらし」が示すラインの交点付近は、この辺りだ。
 ここを整理したのは、『天地人ブーム』にのって、その館主岩井備中守の情報もそのブームのために手軽に手に入った。そことも、つないでおく。
 〇 企画展「天地人の時代」~長谷堂合戦図屏風 
by shingen1948 | 2011-09-01 05:08 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)