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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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古館

 「福島市の中世城舘」で東湯野村の館を確認してきた。
 散策した館も眺めていた中で、曖昧さが解消できそうな館もいくつかあった。それらも整理し直しておこうと思う。

 平野付近で確認した館跡で確認できるのは、「古館」「古舘」「五郎兵衛館」「平田館」だ。
 このうちの「平田館」は、先に整理したものと概測図を見比べても、そのイメージに大差はなかった。その他の館については、多少見方に違いを感じた。
 まずは、「古館」について確認する。

 ここは、先には「岩井備中守館跡~金剛院」として整理している。
 この時は、「平野の伝承とくらし」をもとにして、北東隅の掘跡に焦点を当てて散策している。この時に、西の掘跡の窪みも意識はしたのだが、どちらかというと曖昧にしたままだった。北東隅の掘跡の確認が気になっていたようだ。

 「福島市の中世城舘」は、その西側の掘跡を中心に解説する。
 現在は、西側土塁の一部と推定される土盛りが約40m程残存し、その西側には凹地が部分的に観察でき、掘跡を想定できる。また、更に北側には北西角と推定される地割が見られるが、断定はできない。
 方形単郭の館と推定される。

 ここは、金剛寺の東に位置している。
 金剛寺境内入り口に、飯坂町史跡保存会の「岩井備中信能館跡」の標柱が建つ。その右手に窪地とその奥に林がある。
 これを土塁と堀跡と推定して、この標柱は建てられたものと思われる。
a0087378_4571189.jpg
 それは、今思えばそういう事のようだということだ。先の散策では北東隅の掘跡に焦点を当てて散策しているので、そこまで思い及んでいなかったように思う。
 その標柱の北東を覗き込むと、窪地が見える。

 その奥に林が見えて、これを土塁跡とみているらしい。民地らしいので寺の境内から覗き込む。


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 字館屋敷の真ん中を南北に道が走る。途中かぎがたに東に折れるのが本道のようだが、そこを真っ直ぐ進む作道がある。これを北に進んで、突き当たりを西に進むと、先の館の西側の掘跡とされる所を横切る。
 そこから、南側を見る。
 土塁跡とされる林は切れるが、掘跡とされる窪地はこちらまで延びて、更にここを越して北側に延びる。
a0087378_553712.jpg
 「福島市の中世城舘」では、「断定はできないが、北側には北西角と推定される地割が見られる」とする地点が、この辺りだと思える。
 素人目には、明瞭な窪地が見えるような気がするのだが、それは、先に北東角とされる地点を中心に観察した事が意識のどこかに残っているせいかもしれないとも思う。
by shingen1948 | 2011-08-31 05:06 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)