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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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増田舘③

 「福島市の中世城舘」で、増田郷の増田舘は、築城者増田監物(東湯野概史)とし、その時期を元亀、天正年間とする。塩野目舘・上岡舘のそれは不明だとしている。しかし、その塩野目郷も大塚将監が総成敗を命じられているということでは、互いにかかわりある郷と見える。
 なお、、「福島市の中世城舘」では、塩野目舘が新田原条理遺構とかかわりあるように見ているらしいことと同じように、増田舘と増田条理遺跡との関係をにおわせるように感じる。これらの状況から、増田郷も塩野目郷も、古くから存在する集落の可能性が高いことを言わんとしているように思う。
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 そのかかわりある郷の舘の位置関係だが、かなり近くに感じる。
 増田舘を中心に、近傍の舘との位置関係を確認する。
 69が「増田舘」68が「上岡舘」67が「塩野目舘」66が「志和田舘」だ。ただし、「志和田舘」は湯野村になる。
 この二つの郷は、天正年間には統治者は一人なのに、少なくともそこに3つの館が400m位の間隔で並んでいることが気になる。どう見るのかということだ。

 互いにかかわりのある館と見るのだろうか。
 それなら、在地豪族の連合と見るのか、それとも別の見方か。
 「戦国の城」に、近年「村の城」いう見方が提案されたとの紹介を見る。それなら、在地豪族の館と村の城という役割の混在という勝手な想像もできるのか。定かでない分いろいろな空想が可能だ。

 なお、志和田舘をここに入れて整理しているのは、その舘自体や一角の地名「志和田」は湯野郷なのだが、この志和田の地名が東湯野、伊達にも広がっている。そのこととかかわりがあるものやらないものやらとの思いだ。

 大塚将監とかかわって、先の日本地名辞典「富塚(中世)」の項に次の解説もみる。
 戦国期に見える地名信夫【しのぶ】荘のうち天文段銭古帳に「しのふ北郷」のうちとして「一,五〆五百文 とミつか」と見え、5貫500文の段銭がかけられていることがわかる(伊達家文書/県史7)また「采地下賜録」によれば「富塚在家」が見え, 大塚将監の知行となっている(伊達家文書/山形県史資料篇15上)中通り北部、現在の福島市丸子字富塚前に比定される。
 ここにも「富塚館」という館らしきものがあるとさる。
 「福島市の中世城舘」の城舘一覧では、備考に冨塚右門(一統志)としている。館主と思われる。
by shingen1948 | 2011-08-30 05:58 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)