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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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増田舘②

 「福島市史」では、先に整理した「塩野目舘」のある塩野目村も、大塚将監が総成敗を命ぜられているという。

 市史では、中世の塩野目村について、天文7年(1538)の伊達稙宗による郷村段銭帳初出を紹介する。
 伊達にしね内「4メ(貫)550文しほの目村」とある。
 また、天文22年(1553)の晴宗采地下賜禄に塩目の郷として、「えんどう(遠藤)在家さんかう田、神社2貫文、せうし寺、堀内在家」が書きあげられている。増田村と共に大塚将監に宛てがわれていたとする。
 大塚将監は、塩野目之郷の総成敗を命ぜられ、「其方知行之通、皆々守護不入たるべく」の特権を与えられ「永代相違あるべからず」とされたと紹介し、一方で、この時期に、同じ晴宗采地下賜禄に「伊達郡湯の村しほの目のうち云々」とあり、その境界は不明瞭とする。

 先の増田舘の散策では、館の北側のラインは意識していない。館の南側の境界線と館に向かう道筋に気を取られていた。
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 それで、今回はその北側のラインを意識して散策する。
 ここは、舘の東側と思われる地点だが、意識すると直ぐに、このお宅の左手奥の林がそれらしいことにに気づく。


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 ここは、そのお宅の南外側から眺めたところだが、ここが北側のラインなのだと思う。
 手前に用水路が流れてくる。
 その奥に林があって、これが北側のラインと重なるのだと思われる。


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 その北側のラインを西端から眺める。
 その境界は不明瞭だが、奥に見える林が東側の林で、ここと地形をもとに頭の中で北側のラインをイメージする。


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 先の散策の整理で、南側のラインも整理していなかったので、確認しておく。
 南側のラインは、東側から見ると、道沿いに高台になっているのが確認できる。


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 そこからやや斜めに林が走るが、ここを「福島市の中世城舘」の略測図ではその続きとみているように感じる。
 その折れ曲がる東端が、この辺りだろうか。


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 その林を南西方向から見る。
 先に自分で散策した感覚と変わりはない。


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 そのラインの北西端がここだ。

  居館は1町を一辺とする方形居館をイメージするのが基本らしいのだが、北側にある先に土塁と勘違いした形状は、今も気にはなっている。
by shingen1948 | 2011-08-29 06:24 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)