地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

「上岡舘」

 この舘の近くには、「増田舘」「塩野目舘」「志和田舘」があるが、ここは唯一発掘調査が行われたところだ。
 ただ、その調査は、高速道路建築に伴うものであり、舘の全容解明のための調査ではない。従って、高速道路建築に伴って、現況ではこの舘は消滅したと勝手に思い込んでいた。それで、ここの散歩では、おおよその位置を確認して納得していたところがあった。
 そのことは、「近傍の舘遺跡~再び上岡遺跡⑱」として整理した。
 ところが、「福島市の中世城舘」を確認すると、現在でも遺構らしきものを確認しながら散歩することが可能であることが分かった。
a0087378_5145310.jpg
 この舘の略測図には、調査や現況から掘と土塁と想定される遺構が示されている。この付近の地籍図も示されているので、その図の特徴的な部分から主として掘と土塁が想像できそうなところを書き写し、その略測図に重ね合わせてみる。
 その図から、高速道路幅を消し去ってみると、こんな図になる。

 先の散歩で、この舘付近ととらえた写真は、案内板がいう「田屋の清水」の角からねらっているが、そこがこの図の「掘と土塁」と想定される南西の角だ。ここは、民家の境にあたるところで、その脇を道が走っていたことを想いだす。
 上岡遺跡の岡の南東端の部分で、標高80mの標高線沿いに走る西根下堰が北に回り込んで、その地形的な特色を感じさせてくれる所であり、位置的にこの辺りとの見込みは、大きな誤りが無かったらしいという事でもある。

 この図ではその掘りの続きと思われる地形は、先の散歩ではこの地が扇状地であった事に伴う名残川が作った地形と思い込んでいた。その北側の地形も同様だ。
 東側の掘りの続きらしい地形は、現在鉄塔が建っている付近で、ここは先の散歩でイメージしたことと一致する。

 この図で消し去った高速道路の部分が、発掘調査が行われた所だ。この路線幅のみが調査されたという。
 ここを、「福島市の中世城舘」で情報として補う。
 昭和47年の調査では、舘の整地層と土塁・空掘跡、それに舘の施設と考えられる掘立柱建物跡の一部が発見され、灰釉陶器も出土しているとのことだ。
 また、時代は不明だが井戸跡が発見されたとも。その井戸内からは、曲物、塗器、編物などの木製品が出土しているということで、その図も紹介される。
 この事によって舘の全容が調査されたのではないが、調査によって舘跡の存在は肯定されたということにはなるということらしい。

 先の散歩では、秋山氏の解説をもとに、以下のように整理していた。
 この調査で、東西160m南北105mの方形の城舘が確認されたとのことだ。
 この調査では、土塁・掘跡・井戸跡が発見され、陶器・木製品・漆器等も出土したとのことだ。秋山氏は、これに加え、柱根が残る柱穴の発掘と内黒土師器が出土も紹介し、鎌倉から室町時代の頃に機能した城舘跡であることが確認されたとする。
 なお、上岡遺跡とのかかわりでは、上岡舘遺跡は、下岡の地になるが、その地下1mから握用尖頭器が出土の情報もある。

 石器出土に興味の焦点を当てているのは、上岡遺跡が気になっていたからだ。舘中心の散歩をすれば、もっと明確にイメージできそうだということらしい。
by shingen1948 | 2011-08-26 05:19 | Comments(0)