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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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塩野目舘③

 「塩野目舘」に関する記録等はないという。それといった特徴もなく、目立たない舘だ。多分、発掘調査が行われることもないだろうと思れる。それでも、痕跡らしい窪みや高まりを見ているといろいろ想像してしまう。
 少し範囲を広げて、この舘の周りにの遺構について確認しておく。
  
 「福島市の中世城舘」は、本舘付近の遺構として、「福島市北部条理遺構の湯野地区」と「外屋敷遺跡」を以下のように紹介する。
 本舘付近は、福島市北部条理遺構の湯野地区に隣接又は含まれた可能性が高い。また、本舘の東南には平安時代と推定される外屋敷遺跡が存在する。
 ただ、同誌は、「福島市北部条理遺構の湯野地区」を「志和田舘」の項に整理している。

 この「福島市北部条理遺構の湯野地区」については、先に「新井田条理遺構」あるいは、「にいだっぱら」として整理している。新しい行政区でくくると、湯野地区の遺構になるが、確かにこの遺跡にも近い。
 この「新井田条理遺構」の整理とつないでおく。「にいだっぱら」と表現するのは、秋本氏の「ゆの村」をもとに散歩したものだ。
 ○ うずくまる土偶⑤と「にいだっぱら」 
 ○ にいだっぱら②
 ○ にいだっぱら③
 ○ にいだっぱら④~「前野遺跡」・「志和田舘」
 この中で、基準点とされる一つ石から東西に補助線を引くと、確かに次の1画で隣接区域まで近づき、2画目で遺跡も含まれるという位置にある。

 「新井田条理遺構」として整理しているのは、増田舘にかかわって「増田条理遺構」を意識し、その対比として「にいだっぱら」を「新井田条理遺構」として意識したものだ。
 ○ 「再び上岡遺跡」にかかわる整理で修正すること~①条理制遺構
 これは、条理遺構については、「新井田条理遺構」と「増田条理遺構」について整理してきたが、市史に「増田地域の南方「壷石」東南一帯から伊達町にかけて条理制遺構の伝承がある」との記述を見つけての整理だ。
 ○ 増田村の条理遺構②~再び上岡遺跡⑳
 ○ 増田村の条理遺構~再び上岡遺跡⑲
a0087378_5131518.jpg
 これは、本当は中村新道(伊達街道)の東湯野停車場付近を確認するために撮ったものだが、ここに写るのが「外屋敷遺跡」あたりだ。
 この「外屋敷遺跡」は、中村道(伊達街道)と毛勝断層線上から中村道(伊達街道)を抜け、現在板谷内村の五叉路になっている地点まで延びる古い道筋と、上岡遺跡の稲荷前を通る道筋が板谷内村の五叉路に結ぶその間に囲まれた位置のようだ。
 ただ、昭和27年の「上岡遺跡」付近の遺跡としての遺物の散布地は、ここより西側の湯野地区に近いようにも思う。
 はっきりとは言わないが、自分が整理しているカテゴリーより古い時代を想定しているようにも見える。

 あらためて、遺跡データベースの「塩野目舘」を確認すると、この毛勝断層線上から横町を抜けて中村新道(伊達街道)に抜ける道筋を挟んだ位置を示しているように見える。
 もしも、「塩野目舘」が、「福島市の中世城舘」が示す位置だとすれば、もっと西側にずれるべきなのだとも思う。
 なお、ここは「上岡舘」からも400mと近い。
by shingen1948 | 2011-08-25 05:18 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)