地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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戊辰戦争の犠牲者の弔い~ようやく会津へ⑥

 少年期を会津で過ごし、他所で生活するようになった者にとってカルチャーショックを受ける事の一つに、戊辰戦争の犠牲者の弔い方がある。

 その感覚に関わるニュースがあった。
 「福島民報(2011/08/11)」では、「会津松平家13代当主松平保定氏が死去された」と報じている。 その中で、次のようなエピソードを紹介していた。 
 氏は、靖国神社宮司に推薦されたが、「戊辰戦争の薩長の戦死者がまつられ、賊軍とされた会津藩の戦死者がまつられていないのに、会津人として受けるわけにはいかない」と固辞したとのことだ。

 会津では、日本人同士の戦争である戊辰戦争と日清・日露戦争以降の対外的な戦争を分けて戦争の犠牲者を弔う。
 先日、TUFで、「会津で平和祈願祭、小山田忠霊堂(08月15日)」のニュースがあった。 「終戦の日」に、会津若松市では「小田山忠霊堂」で「平和祈願祭」が行われたとのことだ。
 この忠霊堂には、日清戦争から第二次世界大戦までに戦争で亡くなった県内出身者の霊およそ「1万3千柱(はしら)」が祀られている。

 そして、戊辰戦争にかかわる官軍の霊はこの忠霊塔には祀られていない。先に「会津西軍墓地」として整理したように、官軍の霊は、西軍墓地に祀られる。

 当然ながら、会津では東軍の霊も祀られる。
 この事については「戊辰戦争の非情さの象徴を訪ねる」・「戊辰戦争の非情さの象徴を訪ねる②」に整理している。

 「 下関市長が鶴ケ城健康マラソン大会に初参加」で整理したように、戊辰戦争では敵方であった西軍の方々もその霊を祀るのが、会津での美学なのだと思う。
 福島の信夫山護国神社を詣でることに抵抗が起こるのだ。
 松平氏が言うように、ここでも戊辰戦争の薩長の戦死者がまつられ、賊軍とされた会津藩の戦死者がまつられていないのだ。
 東征西伐ということで、東軍を成敗したとして西軍霊魂が祀られる。ここが気になるのだが、そのことは「信夫三山~松川と競馬場の情報④」で整理した
 元々福島にお住まいの方には分からない感覚なのだろうと思う。
 福島と戦争というようなことを考えるには、この護国神社も確認する必要があるのだが、それがなかなかできない。

 信夫山護国神社よりもっと違和感があったのは、仙台城西の丸の護国神社だ。
 仙台は東北の雄藩である伊達氏を誇り高く案内しながら、その東北の雄藩の象徴である仙台城に官軍の英霊を祀っていることだ。
 その違和感については、「青葉通りから大橋へ」で整理している

 もう会津を離れて久しいのだが、「民衆の立場での交流を望みたい」で整理した感覚も、まだ自分にも残っている。
 
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by shingen1948 | 2011-08-18 05:04 | Comments(0)