地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鶴ケ城に立ち寄る~ようやく会津へ③

 今回鶴ケ城に立ち寄ったのは、黒瓦だった天守の屋根瓦を明治時代に解体される以前の赤瓦葺に復元する工事が完成したとのことで、まずはその様子見だ。それと、御三階の復元計画があるということで、その様子を確かめてみたかったことがある。もう一つが、大河ドラマ「天地人」の放映で、上杉謙信公仮廟所跡が注目された情報をみたが、それがどうなっているのかを確認してみたかったということだ。

 まずは、赤瓦葺に復元された天守
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 天守閣の再建は、次の経緯をたどっている。
 慶応 4年(1868)の戊辰戦争で攻撃を受けるが、修復することもなく放置
 明治 7年(1874)に政府主導のもとに取り壊し
 昭和40年(1965)に天守閣、走長屋、鉄門が復元
 平成13年(2001)に本丸内の干飯櫓と南走長屋が復元。
 平成22年(2010)に天守の屋根を、黒色の瓦葺から解体する以前の赤瓦葺に復元する工事が始まり2011年3月に完成

 解体する以前の鶴ヶ城の姿は、1611年(慶長16年)からなそうだ。
 昭和40年の天守閣の復元には、いろいろな意見があったのを思い出す。再建前の天守閣部のイメージは、塩蔵の印象が強い。
 今回は登らないが、再建後の内部は、若松城天守閣郷土博物館としているので、この塩蔵のイメージは薄い。ここを登るときに、懐かしくてちょっと立ち止まってしまう。

 次が、御三階だが、復元計画があるという事については、先に「御三階」で整理した。
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 この鶴ケ城の御三階は、明治3年に阿弥陀寺に移築され現存する。
 鶴ヶ城本丸内には御三階の櫓台石垣が残っていたが、現在は、復元調査のためか工事中で取り払われていた。
 計画では、現存する御三階を移築するのではなく、新たに造るようだ。


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 そして、上杉謙信公仮廟所跡だが、昔売店があった所だった。この売店は、鶴ケ城が復元される以前からあって、個人的にはこの売店の方が懐かしい風景だ。


 以下の説明案内板が建っていた。
上杉謙信公仮廟所跡
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 天正6年(1578)に亡くなった戦国時代の武将上杉謙信は、甲冑姿で甕に納められたと伝えられ、居城の越後春日山城(現在の新潟県上越市)に葬られました。その後、跡を継いだ上杉景勝が会津へ移封するのにともない、謙信の墓所も会津へ移されることとなり若松城(鶴ケ城)内の西南の隅の仮殿に安置されたと記録があります。当時の城内の様子は正確には分かりませんが、「城内」が今の内堀に囲まれた中を指しているのならば、この蔵跡あたりが該当するのではないかと考えられます。
 慶長6年(1601)、上杉景勝の米沢移封により、謙信の遺骸も米沢城の本丸に移されました。

by shingen1948 | 2011-08-15 06:14 | Comments(0)