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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地元意識にかかわって②~「再び上岡遺跡」にかかわる整理で修正すること③

 確認していくと、昭和27年の上岡遺跡の発掘は、地域の力が一つに結集されたことが、その特色の一つと感じている。しかも、ごく自然な形で進行したようにみえる。

 まず、地主の方が興味を持ち、新聞記事が言う「地元の民間考古学者」の方に相談する。
 その「地元の民間考古学者」の方は、中学校に出向く。その相談相手の鈴木氏は、社会科を担当される方だったのだろうか。確実ではないが、出身校の大学に相談されたのではないかと思われる形跡を感じる。
 それらの経緯があって、本格調査の必要性を確認するようだが、その調査依頼の中心が、地元学校の校長先生らしい。
 ここまでの確認でも、学校が地域文化の発信機能を持っていたように感じる。
 それで、東湯野中学校を確認したところだ。
 地元の力が、地域文化の相談発信機能を持っていた学校などを通して結集し、本格調査につながったとみる。

 この本格的調査で、立案全面的指導は、県の梅宮氏が行うが、この地域の調査をしたり、考察をしたりするという具体的な調査は、信夫高等学校の教諭であった秋山氏が担当するようだ。
 氏が地元に詳しい方ということもあったろうが、学校もまた地元と結びつきが深かったのではないかと想像する。
 恐らく信夫高等学校には、信夫郡地域の中心高等学校という意識があったように想像する。その誇りは、福島高校に対抗するということより、信夫郡のオンリーワンの高等教育拠点というイメージではなかったろうかと勝手に想像する。
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 確認していくと、これが福島県立福島工業学校の前身ということのようだ。
 この学校前を通りかかった日、元信夫高等学校は除染中だった。
 現在は、福島工業学校で、この学校のある地域は美しい町づくり指定を受けているらしいことが、看板から分かる。その隣には、市議会立候補者のポスターが掲示され、ごく普通に市議会選挙が行われた。その中で、学校は除染作業中というのは、個人的には日常の普通の生活と思わない。

 それはさておいて、福島市と合併後、オンリーワンという意識が、工業学校という選択肢にたどり着いたのではないかと、勝手に想像する。

 東湯野地域の地元高校という意識では、飯坂の高等学校だろうが、昭和27年当時は、ここは、信夫高等学校の分校だったようだ。先にもふれたが、独立して飯坂高等学校に独立し、暮坪山にされるのが昭和35年のようだ。
 それが、北高等学校となって現在地に移転するという経緯のようだ。

 今は、高等学校は、広域化し、その価値が大学進学率に大きく傾いている。今の高等学校は、学校の範囲で自己完結している組織だが、当時は地元意識とのつながりの中にあったらしい。
 そういう意味で、信夫郡の消滅も確認しておく。
 昭和43年(1968)10月1日 吾妻町が福島市に編入され、信夫郡が消滅する。
by shingen1948 | 2011-08-12 06:53 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)